子育てを後悔するのは、「世間の物差し」で自分を見ているからかもしれません【vol.4】

他者基準のイメージ

子育てが一段落してくる50代になると、

「この育て方でよかったのかな」
「私が甘やかしたばっかりに…」

と、振り返ることはありませんか。

子どもの進学や就職を見ながら、

「もっと勉強させたほうがよかったかな」
「私は親として、ちゃんとできていたのかな」

そんな後悔が出てくることもありますよね。

それに、

「お子さん、どこに就職したの?」
「どこの大学に行ってるの?」

と聞かれると、聞かないで、って思う。

子どものことを聞かれているだけなのに、
自分の子育てまで見られているような気がする。

私は、そんなふうに親としての評価が気になるのは、

「子育てとはこうあるべき」という世間の物差しを、私たち自身もずっと持ってきたからだと思うのです。

私が育った時代は、

「できれば、いい学校へ」
「安定した会社へ」
「きちんと就職して自立する」

そんな考え方が、今より当たり前にありました。

私たち自身も、

「勉強しなさい」
「ちゃんとしなさい」

と言われながら育ってきた人が多いと思います。

学歴や就職先。
収入。
持ち家か、賃貸か。

そんなことで、その人がどんな人なのかまで判断されるようなところもありました。

だから、自分が親になったときにも、

「子どもには、ちゃんとした道を歩いてほしい」

と思ったんですよね。

それが子どものためだと思っていたし、
そうすることが、親としての役目だとも思っていた。

今、思い出しても不思議なのですが、

子どもの幼稚園の入園願書に、

「親の最終学歴」

を書く欄がありました。

子どもが幼稚園に入るのに、
親の学歴まで書いたんです。

今だったら、

「それ、必要?」

と思いますよね。

でも当時は、それほど違和感を持たずに書いていました。

それくらい、

「どこの学校を出たのか」

ということが、人を見る物差しの一つになっていた時代がありました。

そんな中で子育てをしていたら、

子どもがどこの学校へ行くのか。
どんな会社に入るのか。

そこまで親としての自分の評価と結びついてしまうのも、わかる気がします。

だから、

「お子さん、どこの大学?」
「どこに就職したの?」

と聞かれると、

子どものことなのに、
自分まで採点されているような気持ちになる。

「私はどう思う?」より、

「人からどう思われるだろう」
「親としてどう見られるだろう」

のほうが気になってしまう。

これが、他者基準というものです。

もちろん、

できれば、いい大学へ行ってほしい。
安定した仕事についてほしい。
生活に困らずに生きてほしい。

そう思いますよね。

親なんですから。

でも、

子どもが思っていた大学へ行かなかった。
思っていたような仕事につかなかった。

だから、

「私の子育ては失敗だった」

になるわけではありません。

子どもには、子どもの人生があります。

親が「この道なら安心」と思って引いたレールと、
子どもが歩きたい道が違うことだってあります。

もし、

「私の子育てこれでよかったのかな」

と後悔することがあったら、

一度、

「私は何を基準に、子育てを採点しているんだろう?」

と考えてみてください。

いい学校?
いい会社?
人から「立派に育てたね」と言われること?

そう考えてみると、

自分がずっと握っていた
「子育てとはこうあるべき」が見えてくることがあります。

それは本当に、今のあなたが大切にしたい物差しでしょうか。

人からどう見られるかではなく、

「私は、子どもの人生をどう見ている?」

そこに戻っていくことが、

他者基準から離れていく一歩になると、私は思っています。

▶ 第5話、
そろそろ私は「どうしたい?」を考えていいにつづく