はじめまして。無価値感解放カウンセラーのリエです。

✅どれだけ歩み寄ろうとしても心が通わず、人と関わりあっても孤独を感じている
✅いつもキツく当たる人や不機嫌な人に振り回され、どんなに環境を変えても同じ悩みが繰り返される
✅自分の意見や思いを伝えるのが苦手で、人間関係に難しさと限界を感じている
✅実績を評価されても『まだまだ足りない』と自分を責め、いつまでも安心できない
こうした生きづらさや苦しみを一人で抱え込み、胸を痛めている方のための心理カウンセリングを行っています。

以前の私は、「家庭生活も自分自身の性格も変えられない」と、ただ思い悩む日々の中で、「なぜこんな人生なんだろう…」と落胆して生きていました。
そんな状態だった私が、どうやって人生の停滞期を抜け出し、心から安心できる毎日を手に入れることができたのか。
私の歩んできた道のりが、いま暗闇の中にいるあなたの心を少しでも軽くするヒントになればと思い、お話しさせていただきます。
幼少期・「私なんて、みそっかす」
――すでに自分の価値をあきらめていた頃
~幼い頃から私の世界は「強い人」「怖い人」に囲まれていました~

幼い頃の私にとって、父は怖い存在でした。
厳格で、怒るとちゃぶ台をひっくり返すような昭和の頑固な父。
母は黙って後片づけをし、私は布団にもぐり込んで嵐が過ぎるのを待つだけでした。
幼稚園では泣き虫で、人見知り。
体の大きな子にお気に入りのハンカチを取られても「返して」と言えませんでした。
さらに親から投げかけられた「みそっかす」という言葉。
「私なんて価値がない。いじわるされる弱い子なんだ」 そんな思いが幼い心に深く刻み込まれていきました。
威圧的な父に怯え、ひたすら耐える母の背中を見つめながら、私は生き抜くためのルールを身につけていきました。
「自分の気持ちは我慢するもの」
「強い人には逆らってはいけない」
感情にフタをすることが、幼い私にとって唯一自分を守る方法だったのです。
学生時代・自分が悪くなくても責められたら耐える

中学生の頃、クラスの女の子が私の家に借りにきたマンガを、学校へ持ってきたことがありました。女の子は「家に返しにいくのが面倒だったから」と悪びれることなく言ったのです。
先生に持ち主を聞かれ、正直に名乗り出た私だけがみんなの前で叱られ、「持ってきたのは私じゃない」と言えずに黙って耐えました。
社会人になってからも、人のミスをフォローしたのに自分だけが責められ「本当のことを言ったら『人のせいにする人』と思われるのが怖い」と諦めていました。
私はますます、自分の気持ちを言葉にできない人間になっていきました。
幸せになるはずの結婚生活で、また自分を失っていった20代~30代

20代半ば、私は入院していた実母の看護をしながら、夫と出会い、結婚しました。
結婚すれば、安心できる家庭ができる。
自分を守ってくれる人ができる。
そんな期待があったのだと思います。
けれど、結婚が決まると夫は、
「俺の貯めたお金で家を建てるのだから、口を出すな」
と言い、私の希望を聞かないまま家を建て始めました。
家が完成するまでの間は、夫の実家で同居することになりました。
兄夫婦、甥っ子と姪っ子、義母、義妹、そして私たち夫婦。
いきなり私は、家族全員の食事作りを任されたのです。
実母の病院へ通いながら、寝たきりの義母の世話をし、まもなく妊娠。
つわりで苦しみながらも、家事や介護を続ける毎日でした。
「つわりは病気じゃないんだから」
義理の姉からそう言われ、夫にも「お袋もそう言っていた」とあしらわれました。
一番わかってほしい夫にさえ、つらさをわかってもらえない。
私は、誰にも「きつい」「休みたい」と言えなくなっていました。
母の病院へ行ったときだけ、駐車場に止めた車の中で、そっと体を横たえる。
そこが、私にとって唯一、誰にも気を遣わずに休める場所でした。
「お金を稼いでいない私は、弱音を吐くことも、夢や希望さえも言ってはいけない」
そのような思い込みがあったのか、自分の気持ちを伝えることも、誰かに助けを求めることもできませんでした。
一番わかってほしい夫に、私の気持ちは届かなかった
子どもが生まれてからも、二つの実家と自宅を行き来し、家事や育児、介護に追われる毎日でした。
眠たさの限界で、子どもをおんぶしたままテーブルでウトウトすることもありました。
上の子をおんぶしながら、立ったまま下の子に授乳することも。
子育てをしながらいつも誰かのお世話を優先し、自分のことは後回し。
そんなある日、私は夫に、思い切って伝えました。
「たまには私も上げ膳据え膳でごはんを食べたい。一泊でいいから旅行へ行きたいな」
ほんの一日でいい。
家事から離れて、誰かにごはんを作ってもらい、ゆっくり休みたかったのです。
けれど、夫から返ってきたのは、
「そんなことをしたら、金が貯まらん」
という冷ややかな一言でした。
私がどれだけ疲れているのか。
どんな思いで毎日を過ごしているのか。
一番わかってほしい夫に、私の心のSOSは届きませんでした。
その瞬間、家族の中にいるのに、ひどく一人ぼっちだと感じました。
怒りも悲しみも、誰にもぶつけられない。
「私が欲張りなんだろうか……」
そんなふうに、自分の気持ちさえ疑うようになっていました。
周りからは、幸せそうな夫婦に見られていたけれど……
子どもにも恵まれ、戸建ての家に住み、周りからは仲のよい夫婦だと思われていました。
夫も、私にこう言っていました。
「俺と結婚したお前は幸せ者だ」
けれど、私の心の中は違いました。
ことごとく私の思いや、やりたいことを言っても否定され、
子育てや家事のやり方に夫だけではなく、義理の母や義理の姉達から
口出しされていました。
夫だけでも窮屈に感じている私の思いに、耳を傾けてほしかったのです。
私の味方になってほしかった。
「不平不満を言う私って心が狭いのかな……」
一緒に暮らしているのに、私はずっと孤独でした。
「夫婦であるのに、なぜか虚しい」
どうすればこの苦しさから抜け出せるのか、抜け出していいことさえも知りませんでした。

母の死、そして張りつめていた心が途切れた
その後、実母が亡くなりました。
悲しいはずなのに、長く続いた看護から解放されてホッとしている自分がいました。
そして「母が亡くなったのにホッとするなんて…」と、そんな自分を激しく責めていました。
その頃の私は、朝、起きられない。家事もやりたくない。
夫が仕事へ行ったあと、ソファーでボーッと座り込み、子どもが一人で遊んでいるのを眺めるだけ。
長い間張りつめていた緊張の糸が、一気に切れてしまったのでしょう。
そんな私を心配したママ友が、自己啓発のセミナーへ誘ってくれました。
自己啓発で心理学を学んでも、生き方は変わらなかった

セミナーはママ友が、夫婦で受けた方がよいと言ってくれたので、夫と一緒に受けました。
そこでは、みんなが前向きで、夢や目標を声高らかに宣言し、互いに褒め合い、たたえ合っていました。
けれど、私はそんな雰囲気に気遅れしてしまい、なかなか輪の中に入れませんでした。
ただ、夫には変化がありました。ある日「家族旅行に行こう」と言いだし、はじめて家族で旅行をしました。
「心の仕組みを知れば人は変われるのかもしれない」 そう思った私は心理学を学びカウンセラーとして活動を始めました。
しかし、心の奥底にある「こんな私が相談に乗っていいのだろうか」という自信のなさは消えてはいませんでした。
やがて夫から
「好きなことをやっている場合か」
「家計をなんとかしろ」と言われ、
私はあっけなく活動を諦め、再び外で働く道を選びました。
心理の知識を得ても、「自分の気持ちを後回しにする生き方」からは抜け出せていなかったのです。
突然の大病。病床でようやく気づいた「本当の想い」

家計のため、学びを続けるためにWワークで無理を重ねていた頃。
再びカウンセラーとして活動したい。でもこの気弱な性格をなんとかしなければ、私の人生は好転しない….
そう感じ、心理カウンセリングを受けようと思っていた矢先でした。
突然大きな病気を患い、緊急手術を受けました。
「あと数時間遅れていたら命が危険だった」と告げられるほどの状態でした。
病床で一人、私は生まれて初めて自分自身に謝りました。
「ごめんね。ずっと我慢させていたね」
「人からどう思われるかばかり気にしていたね」
「嫌だったことも、嫌だと言わせてあげられなかったね」
心理学の知識だけでは、マインドは変わらない――
今ならわかるのですが、「自分を変えたい」「生き方を変えたい」とひとりで頑張っていても、無意識のうちに昔の生き方へ戻ってしまう「心の仕組み」に押し戻されていたのです。
「もう、自分を大切にしない生き方を終わりにしよう」 この強い決意が、私の人生の本当のスタートとなりました。
「ありのままの私」を取り戻したカウンセリング
療養中、「これからは自分の人生を生きたい」と、自分に合ったカウンセリングを探しました。
しかし、やはり不安になったのです。
昔行ったセミナーで自分の弱さやダメなところを指摘されて、ますます殻に閉じこもり、逃げたしたい気持ちになったことを思い出し、心理カウンセリングも同じだろうと受けることをためらってしまいました。
しばらく悶々とネットを彷徨っていた時、
『もう、一人で悩んでいるだけでは人生は変わらない』
『今度こそ』
ようやく心理カウンセリングを申し込みました。
カウンセリングでは、病気のこと、言いたいことをうまく言えないこと、やりたいことをあきらめていたこと、これからは自分らしく生きたいこと。
一つひとつ打ち明ける私を、まるごと温かく受け止めてもらいました。
すると、心と丁寧に向き合う中で、私は自分でも気づいていなかった「心のクセ」に気づいたのです。
それまで私は、ずっと「夫が変わってくれたら、幸せになれる」と思っていました。
けれど、夫婦の間でも、職場でも、身近な人間関係の中で、
心の奥には、
子どもの頃につくられた「私には大切にされる価値がない」
という根深い思い込みがあったのです。
だからこそ、相手の顔色ばかりうかがい、自分の気持ちを後回しにしてきたことに気づきました。
心の専門家に受け止めてもらいながら対話を重ねることで、私は初めて、
「私の気持ちも大切にしていい。自分の人生を生きていい」
と、自分自身に許可を出すことができました。

まずは「自分のために朝ごはんを作る」ところからでした
カウンセリングを受けた後、私はあえて「だらしない」と思える行動を試してみることにしました。
朝、目覚ましをかけない。
家族が出かけたあとにのんびり起きる。
そして、自分のためだけに目玉焼きと鮭を焼き、味噌汁を作る。ゆっくりと椅子に座って味わいました。
「私、自分のためだけにご飯を作ったことなんて、ほとんどなかったんだ…」
誰かのためではなく、自分のために時間とエネルギーを使う。私にとって、これが「自分を大切にする」最初の練習でした。
「どうせ私なんて」を手放したら、夫婦の関係も変わっていった

心の仕組みや潜在意識のしくみを日々の生活に落とし込んでいくと、
イライラしても「ああ、私いまイライラしているな」と自分の感情をそのまま受け入れられるようになりました。
すると、不思議と夫への怒りを引きずらなくなり、嫌味を言うことも減っていきました。
以前なら飲み込んでいた想いも少しずつ伝えられるようになり、「良い妻・良い母であるために無理をする」のをやめました。
「相手はどう思うか」ではなく「私はどうしたいか」という視点を持つこともできました。
すると、あれほど厳しかった夫が変わっていきました。
「温泉に行こうか」
「欲しいのなら、俺が払うよ」
「今日の夕飯は俺が作っておくよ」と言ってくれるようになり、今では自分のお弁当を作って出勤しています。
かつて私のカウンセラーとしての活動に反対していた夫が一番の応援者になり、子どもたちからも「お母さん、今が一番楽しそうだね」と言われるようになりました。
そして自分の心と体をゆっくり休めることができると、以前は義務感でこなしていた家事や食事作りも、今では自分の気持ちを大切にしながら、家族のために行えるようになっていました。
もちろん、私も家族も、一気に別人のように変わったわけではありません。
私自身の心の持ち方や関わり方が変わるにつれて、人との関係にも変化が生まれていったのです。
家族のために自分を犠牲にするのではなく、家族に協力してもらいながら自分の人生を楽しむ。
「まず自分が自分を受け入れ、価値を認めること」。
それだけで、私を縛っていた家族は、共に人生を歩む「最強の味方」へと変わっていきました。

もう一人で頑張らなくていい。あなたも、助けを求めていい
私がカウンセラーとして力になりたいのは、誰にも相談できず、「私の人生なんてこんなもの」と自分らしく生きることを諦めてしまった方です。
人に気を遣いすぎて疲れてしまう。
自分の気持ちを伝えられない、わかってもらえない
夫婦なのに言葉のキャッチボールができない
相手の不機嫌を自分のせいだと感じてしまう
「私なんて」と自分を低く評価してしまう
それらが長く続くと「これが私なんだ」と思い込んでしまいます。
でも、今のあなたが、これから先もずっと同じ生き方をつづけなければならないわけではありません。
私自身も、これに気づくにはずいぶん時間がかかりました。
私の人生が変わりはじめたのは、あの日勇気を出して「もう、一人では無理…」とカウンセリングを受けたことがきっかけでした。
カウンセリングでは、自分の気持ちを無視して頑張り続けてしまうと、心だけでなく、体まで悲鳴を上げるんだと知りました。
もっと早くカウンセリングを受けて、自分の心の声に耳を傾けていたら、体を壊すこともなかったのかもしれないと思ったのです。
だからこそ、今度は私が、頑張りすぎて自分の気持ちがわからなくなったあなたの力になりたいと思っています。
カウンセリングは、誰かに『答え』を教えてもらう場所ではなく、本当の気持ちを受け止めてもらいながら、自分の中にある「本当の答え」を自分の力で見つけ出す場所です。
うまく話せなくても、弱ったままでも大丈夫です。 まずは、あなたの胸の奥にある想いをそのまま教えてください。
誰にも否定されない安心な空間で、「本当はずっとつらかった」「私だって大切にされたい」
重い鎧をそっと降ろし、あなたらしい人生を取り戻す一歩を一緒に踏み出しましょう。
お話しできるのを、心から楽しみに待っています。
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