はじめまして。心理カウンセラーのリエです。
「私なんて価値がない……」
「誰も私の気持ちをわかってくれる人なんていない」
そんな無価値感(むかちかん)という思い込みから解放された私は、
世界の見え方は劇的に変わりました。
かつての私は、人の顔色を伺い、自分の気持ちを押し殺して生きる
「出口のない毎日」を送っていました。
そんな私が、どうやってありのままの自分を認め、
心を軽くすることができたのか。
その鍵は、**幼少期に既にできていた「心の根っこ」**にありました。
私の人生を変えた実体験を、ここでお話しさせていただきます。
Contents
- 1 幼少期:「私なんて、みそっかす」――すでに自分の価値をあきらめていた頃
- 2 中学生:飲み込んできた言葉、重なる不公平
- 3 社会人:大人になってからも続いた、「なぜか私だけが責められる」感覚
- 4 幸せになるはずの場所で、私はまた「自分」を消して生きていた
- 5 専業主婦:「お金を稼いでいない私」には、意見を言う資格がないという思い込み
- 6 「役割」に押しつぶされ、声を失った20代・30代
- 7 つらかったのは忙しさではなく「尊重されなかったこと」
- 8 気力を失ったあと、私は何も感じなくなった
- 9 一度は諦め、夢を封印してパートに出た日々
- 10 大病と、本当の自分との再会
- 11 やっぱり私はこの道を生きたい
- 12 潜在意識の書き換えが、人生の主導権を取り戻す鍵だった
- 13 「今の自分」をそのまま受け入れた時、人生は変わりはじめた
- 14 無意識のクセに気づいたとき、人生は変わりはじめる
- 15 あなたも思ったことを口に出していい――『あなたの人生』の主役を、一緒に取り戻しましょう
幼少期:「私なんて、みそっかす」
――すでに自分の価値をあきらめていた頃
~幼い頃から私の世界は「強い人」「怖い人」に囲まれていました~

物心ついたころ、父は「怖い存在」でした。
厳格で、ザ・昭和の男。
ちゃぶ台返しで怒りを表す星一徹のような、誰も逆らえない存在でした。
ある夜、怒声とともにこたつの天板をひっくり返し、器も料理も床に飛び散った光景を、私は今もはっきり覚えています。
母は黙って片づけ、私はただ布団にもぐりこんで、父の怒りが過ぎるのを待つことしかできませんでした。
幼稚園では、お気に入りのハンカチを強い女の子に取られても、「返して」のひと言が言えませんでした。
私は悔しくても言えない子、自分を守れない子だったのです。
今思えば、私はあの頃から、自分で自分を守る方法を知りませんでした。
嫌なことが起きても、黙って耐えるしかない。
誰かに守ってもらわなければ、自分には価値がない。
そんな思い込みが、
幼い私の中に少しずつ根づいていったのだと思います。
そんなふうにして私は少しずつ、
「私なんて、みそっかす(おまけ)なんだ」と
思い込んできたように思います。
そして、強い父に耐えていた母の姿もまた、
「私は我慢して生きるものなんだ」という思い込みを、
幼い私の中に深く刻みこんでいったのです。

中学生:飲み込んできた言葉、重なる不公平
中学校に入学してすぐ、こんなことがありました。
クラスメイトが
私の家まで自転車で来て
「少女マンガ貸して」
と言いました。
私は少女フレンドを2冊貸しました。
数日後、教室で騒ぎになりました。
教室の後ろの棚に置いてあるカバンから
少女マンガが見えている、と。
HRの時間、先生が聞きました。
「この本の持ち主は誰ですか?」
私は手を挙げて言いました。
「私のです」
「学校にマンガの本を持ってきてはいけません」
「中学生の自覚を持ってください」
みんなの前でお説教されてしまいました。
マンガの本を持ってきたその子は
悪びれる様子もなく言いました。
「家に返しに行くのが面倒だったから」
それだけでした。
私が悪いわけではないのに言い返せない。
納得できなくても、飲み込むしかない。
そんな反応が、この頃の私にはもう染みついていたのです。

社会人:大人になってからも続いた、「なぜか私だけが責められる」感覚
社会に出てからも、
「なぜか私だけが責められる」
そんなことが何度もありました。
責任を押しつけられる。
人のミスをフォローしているのに、私がみんなの前で責められる。
「私が悪いわけじゃないのに」
そう思っても、言い返したらもっとひどいことになる気がして、
私は何も言えませんでした。
そうやって自分を消してやり過ごすことが当たり前になるうちに、
私はますます「自分の考えを言えない人」になっていきました。
子どもの学校の保護者会でも、
自己紹介の順番が近づくだけで頭が真っ白になり、
前の人の話をなぞるように話すことしかできませんでした。
本当は言いたいことがあるのに、うまく言葉にならない。
気づけば私は、
自分の本当の思いをどこかに置き忘れてしまっていたのです。
幸せになるはずの場所で、私はまた「自分」を消して生きていた

夫とは知人の紹介で知り合い、半年後に入籍しました。
本来なら、新しい人生が始まるはずでした。
けれど実際の私は、結婚してもなお、自分の気持ちを後回しにする生き方から抜け出せませんでした。
結婚が決まると、夫は家を建てると言い出しました。
私は
「家は生活が安定してから建てようよ」
と伝えましたが、夫は
「いや、建てるよ」
と言うだけでした。
家の外観も、子ども部屋のない間取りも、キッチンの動線も、
「私たち」の家なのに、私の希望はほとんど通りませんでした。
そして夫は言ったのです。
「俺の貯めたお金で建てるんだから、文句を言うな」
その言葉が胸に刺さって、
私はますます自分の意見を口にしなくなりました。
家が建つまでの数か月は、夫の実家で同居でした。
兄夫婦と甥っ子と姪っ子、義母もいる中での新婚生活。
「え? アパート借りないの? 借りようよ」
そう言っても、
「ほんの数か月だから。我慢して」
と返されました。
新婚旅行から戻ると、すぐに同居が始まりました。
兄嫁に
「リエさん、みんなのご飯の用意お願いね」
と言われ、
まもなくつわりが始まっても、
私は自分の体を労わるより、人に言われるまま動いていました。
結婚したのに、守られている感じがしない。
きついのに、きついと言えない。
そんな毎日でした。
ようやく家が建っても、ほっとしたのは束の間でした。
夫は新しい家に義母を泊まらせたいと言い、
私は断ることができませんでした。
つわりで食事の匂いさえつらい中、
帰宅した夫は義母と楽しそうに会話をしていて、
私はひとり離れたところで家事をかたづけていました。
週末には、学校や幼稚園が休みの
甥っ子と姪っ子たちが泊まりにきて
夫も一緒になってはしゃいでいました。
私はというと、
義母の滞在中
友人から遊びの電話がかかってきても
断るしかありませんでした。
家族は大事。
親も大事。
頭ではわかっていても、
私の時間も、私の気持ちも、そこにはありませんでした。
今振り返ると、苦しかったのは忙しさそのものではありません。
私の限界をわかってもらえないこと。
気持ちを伝えても受け止めてもらえないこと。
そして、私は、
「また我慢するしかない」
と思い込んでいたことでした。
私は少しずつ、
「自分の本当の気持ちは口にしてはいけない」
「どうせ言っても届かない」
「自分を消してでも、周りを優先しなければいけない」
と思うようになっていったのです。
専業主婦:「お金を稼いでいない私」には、意見を言う資格がないという思い込み
結婚してからの私は、
夫の実家との関わりや家のこと、日々の家事や気づかいに追われる中で、
ますます自分の気持ちを後回しにするようになっていたのです。
その奥にあったのは、
「お金を稼いでいない私には、強く言う資格はない」
「養ってもらっているのだから、我慢しなければいけない」
という思い込みでした。
本当はつらい。
本当は納得していない。
でも、それを口にするたびに、
わがままだと思われる気がしたのです。
だから私は、
言わないこと、
我慢すること、
波風を立てないことを選び続けました。
今思えば、この思い込みが、
結婚生活の中でさらに私の声を小さくしていったのだと思います。
「役割」に押しつぶされ、声を失った20代・30代

独身時代の話に戻ります。
20代の私は仕事を辞め、実家に戻って、入院していた実母の病院に毎日通う生活をしていました。
母の衣類を洗ったり、食事の介助をしたり。
朝から夜まで病院にいることが、いつの間にか当たり前になっていました。
その後、結婚し、出産しました。
産後ひと月を過ぎると、私はまた赤ちゃんを連れて病院に通う生活に戻りました。
さらに二人目を出産した頃には、父が糖尿病の食事指導で短期入院をし、
夫の母もリウマチで自宅でほとんど寝たきりの状態でした。
今振り返ると、結婚した頃からずっと、
私は両家の親のこと、自分の家のこと、子どものことに追われ、
次から次へと「役割」を引き受けていたのだと思います。
忙しかったというより、
「○○しなければ」
「○○に行かなければ」
と、いつも何かに追われているような毎日でした。
でも、本当に限界だったのは、忙しさそのものではありませんでした。
つらかったのは忙しさではなく「尊重されなかったこと」
二人目を出産したその年、
近くに住む夫の兄嫁も出産を控えていました。
兄嫁の入院中、義母の昼食を作ってほしいと頼まれ
作って届けていました。
お産の後は体を休めたほうがいいので
兄嫁の分も作りました。
上の子を連れ、首のすわったばかりの下の子をおんぶして、
義母と兄嫁の昼ご飯を作って、持っていく。
そんな日が続きました。
目が悪くなるので
お産の後はしばらくテレビは観ないほうがいいと、
普通に言われていた時代のことです。
私が夫の実家にいくと、
待っていたかのように
すでに玄関の鍵は開いており、
部屋からリビングに出てきた
兄嫁は『笑っていいとも』を観ながら
私が作ってきたごはんを何事もないように食べはじめました。
胸の奥で何かが切れました。
怒りというより、
ばかばかしさと虚しさだったと思います。
それからしばらくして、私は夫に聞きました。
「義母さんのごはん作り、もうやめていいかな?」
それは、わがままではなく、
「もう限界です。疲れました。助けてほしい」
というSOSでした。
けれど返ってきたのは、
「もうしばらく、作ってやってくれ」
という言葉だけでした。
ふだん兄嫁は義母への昼ごはんとして
白いごはんに醤油をかけただけのものを運んでいました。
おかずがないなら醤油だけでもかけてくれと頼んだら、
本当に醤油だけかけたごはんが運ばれてくるようになったそうなのです。
しかし、兄嫁は自分達では、
肉を焼いて食べているのだとか。
肉を焼いている匂いが
義母の部屋まで漂ってきて
つらいと嘆いたことがあるのです。
ただ、朝と夜は自分の夫がいるため、
きちんとした食事を出しているようでした。
だから私は、放っておけなかったのです。
きつくても、私が作るしかないと思っていました。
その頃の私は、
実母の病院に通い、
義母の食事を作って届け、
実家へ行き、
夜遅くまで自営の仕事をしている
父の食事の支度もしながら、
小さな子どもを連れて毎日あちこちを動き回っていました。
自分のことは、いつも最後….でもありませんでした。
子どもと一緒に寝てしまった夫に
むなしい思いを抱きながら
夜中に洗濯機を回すなど家事をこなしていたのです。
気力を失ったあと、私は何も感じなくなった

そして、義母への食事作りをやめた頃――
私はもう気力を失っていました。
ある日、夫にぽつりとつぶやきました。
「たまには私も、上げ膳据え膳でごはんが食べたい。
一泊でいいから、旅行に行けたらなあ」
返ってきたのは、
「そんなことしたら、金が貯まらん」
そのひと言でした。
その瞬間、家の中にいても、
私はひどくひとりぼっちでした。
怒ることも、悲しむこともできない。
あの頃の私は、もう何を感じているのかさえ、
よくわからなくなっていたのです。
そんな毎日を送る中、
ママ友のすすめで自己啓発と出会いました。
「自分には必要ない」と渋る夫でしたが
ママ友の説得で夫婦で受講しました。
すると夫の言動が少し変わったのです。
私はこの時思いました。
人の心や潜在意識を学べば、
人生が変わるかもしれない、と。
そのことがきっかけで心理に興味を持ち、
後に心理学、鏡の法則、
インナーチャイルド療法やヒプノセラピーなどを学びました。
学ぶ中で、
私は大切にされない。
私の思いを受け取ってくれる人はいない。
いい人でいなければ価値がない。
そんな思い込みが、
ずっと自分を縛っていたことにも気づいていきました。
だから私は、
言いたいことを飲み込み、
我慢し、
合わせて、
自分を後回しにしてきたのだとわかったのです。
「人の心や潜在意識を学べば、私は変われるかもしれない」
気づくことは、変化の第一歩でした。
それはたしかに大切な一歩でした。
一度は諦め、夢を封印してパートに出た日々
心理を学び、私はカウンセラーとして活動を始めました。
「悩んでいる人の役に立ちたい」という一心でした。
けれど、現実は甘くありません。
4男2女の教育費はかさみ、家計は火の車。
夫からは相変わらず、
「そんなことより家計をどうにかしろ」
「好きなことをやっている場合か」
と責められ続けていました。
その言葉を浴びるたびに、
「私には、自分のやりたいことを選ぶ価値なんてないのかもしれない」
「やっぱり私は、家族のために尽くして我慢して生きるしかないんだ」
そんな思いが、また心の中に広がっていきました。
一度は小さくなったはずの無価値感が、再び顔を出し、
私はついにカウンセラーの看板を下ろすことにしたのです。
そして、未練を断ち切るように、パートに出る道を選びました。
家計のため、そして心理の勉強を続けるために、
Wワークで働く毎日。
「これでいいんだ」と自分に言い聞かせながらも、
ふとした瞬間に、
「私はこの人生の続きを歩んでいくしかないのか」
そんな空しさが胸をよぎることがありました。
だからこそ、心理から完全に離れることはできませんでした。
パート先で同僚の相談に乗っているときも、
心のしくみを、わかりやすく生き生きと伝える人の動画を見たときも、
私の心には確かな灯りがともったのです。
けれど、忙しさに追われる毎日の中で、
心理の学びを生活の中に
活かすことができていませんでした。
私は相変わらず自分を後回しにし、
無理を重ねる生き方をやめることができなかったのです。
本当に必要だったのは、
潜在意識に刻まれた前提そのものに触れ、
書き換えていくことでした。
なぜなら、そのあと私は「病気」という形で、
強制的に立ち止まることになったからです。
大病と、本当の自分との再会

私は大病をしました。
あと数時間病院に行くのが遅れていたら危険な状態でした。
日常が一瞬で崩れ、
当たり前だと思っていた明日が遠くなったとき
私は心の奥の 「内なる自分」(こども心) に謝りました。
「ごめんね。自分がどう思われるかばかり気にしてたよね」
「本当はやりたいことを、ずっと我慢させていたよね」
「嫌なことを嫌だって言えなかったよね」
そしてまた、新たに気づいたのです。
『自分を大切にしていないと、体が悲鳴をあげるんだ』
『自分には大切にされる価値なんてない』
そんな無意識の思い込みが、
自分を酷使し、
体をボロボロにするまで私を走らせていたのだと、ようやく気づきました。
ずっと封印してきた「本当の自分」が、
病気を通して私にメッセージを送ってきたのです。
その瞬間、私は初めて
“病気に感謝する”という不思議な感覚を持ちました。
「内なる自分」にありがとうと言い、
本当の気持ちを無視してきた自分を見つめ直しました。
そして、
「本当はどうありたいか」を
内なる自分と対話をしながら
確かめていきました。
私はようやく
自分の人生を生きる「許可」を自分に
出すことができたのです。
やっぱり私はこの道を生きたい
一度挫折し、どん底で「自分の本当の願い」と向き合ったからこそ、
今の私には迷いがありません。
「自分には幸せになる価値がないから」と
夢を諦めかけたあの日の痛みを知っているからこそ、
今、私はあなたに
「あなたの価値は、心の底にまだ眠っている」
「私と一緒に探しませんか?」
と言いたいのです。
潜在意識の書き換えが、人生の主導権を取り戻す鍵だった

私が心理を学んできて実感していることがあります。
それは、
変わる、というのは
資格をとったり
できる自分でいなければと頑張りすぎたり
外側の環境を変えようと
必死になることではなく、
自分の心の深いところ――「潜在意識」を書き換えることです。
「どうせ私は大切にされない」
「私は無価値だ」
私は、根深い思い込みを一つひとつ丁寧に紐解き、書き換えていったのです。
すると、
あんなに冷たく私を抑えつけていた夫との関係が、気づけば、魔法のように温かいものへと変わっていました。
この衝撃的な変化を目の当たりにしたとき、私は確信したのです。
「私が本当にやりたかったことは、これだ。かつての私と同じように、無価値感に苦しみ、声を失っている方たちの力になりたい」
そう心に決め、私は現在、無価値感を解放し、潜在意識を書き換えるカウンセリングを行っています。
かつての私は、セミナーに行ったり、必死に自分を磨いたりして「外側」を埋めようと頑張っていました。
けれど、本当に現実を変える力は、すでに自分の内側にありました。
それを導きだしてくれたのが
心のクセに気づき、潜在意識を書き換える心理カウンセリングだったのです。
潜在意識という心の根っこが変われば、努力や我慢をしなくても、目の前の現実は自然と動き出します。
それを自分自身の人生で証明できたからこそ、
私は自信を持ってあなたの手を取り、伴走することができるのです。
「今の自分」をそのまま受け入れた時、人生は変わりはじめた
弱い自分、逃げたい自分、言えない自分――
私は自分のことを恥ずかしい人間だと思っていました。
言い返したくても言えなくて、後になって
悔しくなって一人反省会。再現劇場。
でも今は違います。
弱いままでもいい。強くなってもいい。
どうありたいかを選ぶのは、自分自身。
自分に向き合い、自分の内面を知り、
「自分をいちばんに愛しているのは自分だ」という感覚を得ました。
私にはすでに価値があったのです。
自分の価値に気づいた時
周りの景色は一変しました。
夫との関係が
以前のように黙って我慢する関係ではなくなりました。
あんなにお金に厳しかった夫が
明日はドライブに行こうか
温泉に行こうかと誘ってきます。
私が買おうかどうしようか迷っていると
買えば?俺が払うよと言ってくれたり。
私は、思ったことを、
落ち着いて言葉にできるようになりました。
かつては私の活動に顔をしかめていた夫が、
今では「今日は俺が夕飯を作っておくよ」と、
私の仕事を一番近くで支えてくれる協力者になりました。
自立した子どもたちも、
家の中で生き生きと働く私の姿を見て、
「お母さん、今が一番楽しそうだね」と、
一人の女性としての新しい挑戦を見守ってくれています。
「家族のために自分を消す」のではなく、
「家族に協力してもらいながら、自分の人生を堂々と楽しむ」。
私が自分に価値を認め、自分の人生を生きる「許可」を出したとき、
家族は私を縛る存在から、共に歩む最強のチームに変わりました。
内気で家庭ではほとんど会話のなかった息子が
自分の想いをいきいきと話せる明るさを取り戻しました。
自分の夢に向かって、自らやる気を出して進みはじめたのです。
実母の介護から40年近く。
自分のことを後回しにして、
家族や他者に捧げてきた私だからこそ、今、心から信じています。
何歳からでも、どんな状況からでも、人は自分を生き直すことができると。
白黒だった私の毎日に、家族の笑顔という鮮やかな彩りが加わった今、
私はカウンセラーとして、今度はあなたの「人生の彩り」を取り戻すお手伝いをしています。
かつての私が喉から手が出るほど
欲しかった
「自由」や「自信」「我慢をしない毎日」
それは、外側の環境を変えるのではなく
自分の内側の無価値感を解放することで
手に入りました。
無意識のクセに気づいたとき、人生は変わりはじめる
なぜ、これほどまでに現実が変わったのか。
それは、私たちの現実を創っているのが、努力や根性ではなく
「潜在意識(心の根っこ)」だ
ということを知ったからです。
- 「どうせ私は大切にされない」
- 「私が我慢すれば丸く収まる」
- 「何かができない自分には価値がない」
こうした「心のクセ」は、
これまでの人生で
自分で自分を守るため作ってきた「鎧」(よろい)のようなものでした。
この重たい鎧は、
結婚、子育て、仕事、人間関係――
人生のあらゆる場面に、知らないうちに影響します。
自分が癒されないまま、鎧を脱げずにいると、その重さは「心の連鎖」として、知らず知らずのうちにわが子へと引き継がれてしまう。
私は、そこに光を当てたいと思いました。
一人の心が整えば、家庭の空気が変わります。家庭の空気が変われば
子どもは安心して育ちます。
それは小さな変化ですが、
「あなたという一人が、無価値感から解放されること」
それは――
あなた自身の人生を取り戻すだけでなく、
大切な次の世代へ「自分らしく生きる」ことをプレゼントする、最も尊い選択です。
かつての私と同じように、重い鎧を脱げずにいるあなたの力になりたい。
私はそのために、この仕事をしています。
あなたも思ったことを口に出していい――『あなたの人生』の主役を、一緒に取り戻しましょう

私のカウンセリングは、
あなたの
「弱さ」
「ブレているところ」
「自分の許せないところ」
も否定しません。
逃げたい気持ちも、言えない苦しさも、
人に気を使いすぎてくたびれた心も、
全部、あなたが
一生懸命生き、
自分を守ってきた証拠だからです。
私はあなたに伝えたい。
「我慢しすぎたね」
「思ったことを、声に出していいんだよ」
「ありのままのあなたで、生きていいんだよ」
*ありのままの自分で、もっと愛されていい*
あなたの内側の小さな声を、
一緒に聞いていくカウンセリングです。
私はそのお手伝いをするために、ここにいます。
「自分には生きる価値がないのではないか」
「誰の役にも立っていないのではないか」
そんな思いを抱えながら、
遠慮して生きる人生を
あなたも、もう続けなくてもいいのです。
遠回りしたように見えても、
あの時間がなければ今の私はいません。
自信をなくした過去も、
涙を流した日々も、
自分を責め続けたあの頃も、
すべては、
「自分を好きになる」
その道につながっていた大切なプロセス でした。
そしてもうひとつ、確信していることがあります。
人が本当に変わり始めるのは、
“欠けているところを埋めよう”と頑張るときではなく、
“今の自分をそのまま受け入れた時”だということを。
これこそが、
私があなたに届けたいカウンセリングの原点です。
自分を信じられるようになったとき、自分が弱いか強いかなんて
気にならなくなります。
自分らしさは自分で決めていい。
なぜなら、自分には価値があると気づいた時、
もう、ぶれない軸ができているからです。
今度は
あなたが、このプロセスを歩み始める番です。
もう、誰かの顔色を伺い、遠慮がちに生きる毎日は終わりにしませんか。
あなたの人生の主導権は、
どこまでもあなた自身のものです。
もしあなたが「今の自分を変えたい」と心のどこかで願っているのなら、 まずはその想いを、私に聴かせてください。
否定のない、安心な場で、 あなたの人生に鮮やかな彩りを取り戻すお手伝いをさせていただきます。
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