「私なんて、みそっかす」―弱い自分を自分らしさだと決めていた頃
~幼い頃から私の世界は「強い人」「怖い人」に囲まれていました~
物心ついたころ、父は「怖い存在」でした。
厳格で、ザ・昭和の男。
ちゃぶ台がえしで怒りを表す星一徹のような、怖い存在でした。
自営業が忙しい人でいつも家にはいませんでした。
冗談を言い合ったり、抱っこをせがんだり
父の体によじ登ってふざけ合ったりした記憶もありません。
たまに会話があると、説教じみていて。
子どもの頃から私は、父を怖い人と思っていました。
幼稚園の時。
お気に入りのハンカチを持っていった時
強い女の子から
「ちょっと貸して」と取り上げられてしまいました。
ずっとその子が持って
自分のハンカチのように
お友達に見せびらかしてしました。
『私のなのに・・』
返してが言えず
家に帰って母に涙で訴え
数日後、先生から戻してもらいました。

私の周りには、ガキ大将のように元気いっぱいの子。
しっかり者で仕切るのが得意な子。
背が高くて大人びた優等生――そんな“強い子”ばかりだったのです。
みんなの輪に入っていても、どこか影の薄い私。
遊びの約束も、自分から誘ったことはなく、
誘われるままに出かけていく子でした。
いつもみんなの後ろで、
半歩さがった位置に立っていました。
私は体も小さく、いつも学年より下に見られていました。
体力もなくて、鬼ごっこはいつも一番に捕まっていました。
母はやさしく明るい人でしたが、
強い父に耐えていた印象しか私には残っていません。
そんな母の姿を、
私はセルフイメージとして自分に貼り付け、
「弱い自分こそが私らしいのだ」と無意識に決めてしまったのです。
「私なんて」
「私はみそっかす」
という気持ちが、いつも心の底で冷たく沈んでいました。

なんのために?弱い自分を自分らしいと決めてしまったのだろう・・
思春期・飲み込んできた言葉、重なる理不尽
思春期の頃、私はさらに父を避けるようになりました。
夜、父が帰宅する車の音がすると、胸がぎゅっと縮むのを感じる。
それくらい会いたくない。
何か聞かれても口ごもることが多く、
父が「そんなに声を出すのが惜しいのか?」と
母にぼやくほど、私は父と会話ができませんでした。
学校では言われたことをするのは得意でした。反対に、
「こうしたいです」
「こんな風にやってみようよ」など
と自分から言うことはなかった。
自分の意見や考えがありませんでした。
通知表には
「おとなしい」
「授業中はもっと積極的に手をあげるように」と
いつも書かれていました。
授業中、前に出て
一人で発表をする時も嫌でした。
一生懸命話をしているのに
「聞こえませーん」
と男の子に言われて
頭の中が真っ白に。
ますます自分の考えを話す
ということが苦手になっていきました。
中学生のときに
こんなことがありました。
クラスメイトが
私の家まで自転車で来て
「少女マンガ貸して」
と言いました。
私は週刊マーガレットを2冊貸しました。
数日後、教室で騒ぎになりました。
教室の後ろの棚に置いてあるカバンから
少女マンガが見えている、と。
HRの時間、先生が聞きました。
「この本の持ち主は誰ですか?」
私は手を挙げて言いました。
「私のです」
「学校にマンガの本を持ってきてはいけません」
「中学生の自覚を持ってください」
みんなの前で説教されてしまいました。
マンガの本を持ってきたその子は
悪びれる様子もなく言いました。
「家に返しに行くのが面倒だったから」
それだけでした。
先生もそれ以上
何も言いませんでした。
その子は勉強もよく出来る子で
おとがめ無し。
理不尽という言葉は当時、まだ知らなかったけど、
なぜか私だけが怒られるということが
よくありました。
なぜか「私だけが怒られる」理不尽な連鎖。自分の言葉を失い、人の真似をすることしかできない苦しさ
社会に出てからも、幼少期の「私だけが怒られる」という構図は、
形を変えて繰り返されました。
正直、職場での細かい出来事はもうよく覚えていません。
ただ、いつも心のどこかで
「私は理不尽な目に遭いやすい」
という諦めのような感覚がありました。
責任を私に丸投げしてくる人。
自分のミスは棚に上げて、私の些細なミスをみんなの前で責める人。
なぜか、私はそういう人のターゲットに選ばれやすかったのです。
「私が悪いわけじゃないのに。でも、言い返したらもっとひどいことになる……」
ただ、そうやって自分を消して生きることが当たり前になっていたせいか、いつの間にか私は「自分の意見」というものが持てなくなっていました。
例えば、子どもの学校の保護者会では、
自己紹介や子どもの家庭での様子を言わなきゃいけない。
もうすぐ自分の順番が廻ってくる・・と思うと、
益々緊張して、
前の人のはなしを真似して言うことくらいしか言えませんでした。
そして、言いたかったこととは、
全然違うことを言ってしまうことが
しょっちゅうでした。
結婚後「役割」という名の重圧と、枯れ果てた心
夫とは、知人の紹介で知り合いました。
知り合って半年で籍を入れ
そのあとに結婚式を挙げました。
結婚が決まった時、
夫が家を建てると言い出しました。
「家は生活が安定してから建てようよ」
そう言っても
夫は「いや、建てるよ」
「私たち」の家なのに、家の外観、
子ども部屋のない間取り、
キッチンの動線…
私の希望はまったく通りませんでした。
「俺の貯めたお金で建てるんだから文句言うな」
その一言が胸に刺さって抜けなくて、
私はますます自分の意見を口にしなくなりました。
しかも、家が建つまでの数ヶ月、
夫の実家に同居でした。
夫の兄夫婦と子ども達
それに義理の母。
「え?アパート借りないの?借りようよ」
「ちょっとの間だから。我慢して」
新婚旅行から戻ると
夫の実家で同居がはじまりました。
料理のできない兄嫁に
「リエさん、ご飯の用意お願いね」
と言われました。
まもなく、つわりがはじまり、私の結婚生活は
自分の体を労るより
人に言われるまま動いているばかりでした。
やがて私は心のどこかで
「私は、何でも我慢しなければいけない」
「言いたいことを言ってはいけない」
「私の気持ちなんて誰もわかってくれない」
「人の気持ちを優先しなければ」と
”私はこういう人”と
自分の人格を決めてしまったのです。
今思えば、ずっと自分には無力感や無価値感がありました。
「稼ぎがないから、意見を言ってはいけない」という呪縛
~不自由さは大人になっても形を変えて続いていました~
子育てと、「生きづらさ」の正体に触れた時
数ヶ月間、夫の実家で我慢して過ごし、
ようやく家が建ちました。
夫の実家とは、歩いていける距離という近さ。
本当は気が休まるわけではありません。
私の希望を聞き入れられなかった新居でしたが、
実家から離れられたことに
少しほっとしたことを覚えています。
しかし、夫が新築の家に義母を
泊まらせたいと言いだし
断れませんでした。
その頃は、つわりが続いていて
食事の匂いで気分が悪くなる。
義母は、食事だけ部屋に置いてくれたらいいから・・
私の事は放っておいて、おかあさんの病院に行っておいで
と言ってくれたのですが、
夫が帰宅すると
義母をリビングに連れて来て
一緒に食事をして、そのあとテレビを観ています。
私は夫と義母の談笑から離れて
家事をこなしていました。
義母が滞在している時、
学生時代の友人から
みんなで集まろうよ
うちに来ない?と電話がありました。
固定電話の時代。
電話の近くに義母が座っています。
遊びの約束を聞かれたくなかった。
行きたかったけど、行けないといいました。
さすがに、義母が来ているからとも言えず
入院している母の検査があるので行けないと
断りました。
私には義母にやさしい言葉をかける気力はありませんでした。
「ゆっくりしていってくださいね」そう言うと
ホントに居座られるのではないかと
不安でした。
結婚生活のはじまりは
日々は慌ただしく、
一日が24時間では、足りない・・・そんな気持ちでした。
家族は大事。
だけど、自分の時間がほとんどない息苦しさもあったのです。

「役割」に押しつぶされ、声を失った20代・30代
独身時代の話に戻ります。
20代、私は仕事を辞め、
実家に戻り母の病院に毎日通う生活をしていました。
介護というほど大げさなものではありません。
でも、朝から夜まで病院に通い、
母の衣類を洗ったり、食事の
介助をしていました。
それが日常になっていました。
その間に結婚し、出産したのです。
産後ひと月は自宅で過ごしましたが、
ひと月を過ぎると、赤ちゃんを連れて
また病院に通う生活に戻りました。
それから2年後。
私が二人目を出産した頃のことです。
その頃、今度は父が糖尿病で入院することになりました。
食事指導を受けるための、短期間の入院でした。
一方で、夫の母はリウマチを患い、自宅でほとんど寝たきりの状態。
動けない義母のことも、常に気にかけていました。
「年を取れば、誰だって病気になるもの」
「親を思いやるのは子として当然」
そんなふうに、ごく自然に受け入れていました。
思えば、私たちが結婚した当初から、
両家の親のどちらかが体調を崩している状態で、
私は当たり前のように、あちこちで細かな世話をしていたのです。
忙しかったというよりは、
次から次へと「役割」だけが私のもとに集まってくるような、
そんな感覚でした。
「○○をしなければ」
「○○に行かなければ」
いつも、何かに追われているような毎日でした。

限界だったのは、忙しさではなく「尊重されなかったこと」
私が二人目の子を出産した年のことでした。
近くに住む、夫の実家の兄嫁も出産を控えていました。
兄嫁がお産で入院している間、私は夫の実家へ
昼ごはんを作って持っていきました。
お産で入院している間、
義母の昼ご飯をつくって欲しいと頼まれたからです。
産後は体を休めたほうがいいということで、
退院してきた兄嫁の分のお昼ごはんも作りました。
当時は、
「産後は目が悪くなるからテレビは見ないほうがいい」
そんなことが普通に言われていた時代でした。
ある日、
上の子を連れ、やっと首のすわった下の子をおんぶしてお昼ごはんを持っていくと、
兄嫁は笑っていいともを観ていました。
そして、
私が作ってきたごはんを、
テレビをみながら何事もなかったように食べていました。
その光景を見たとき、
胸の奥で、何かが切れました。
怒りというより、
ばかばかしさと虚しさだったと思います。
「もうやめていい?」は、わがままではなくSOSだった
それからまもなくして私は夫に尋ねました。
義母の食事作りを始めて、2か月ほど経った頃のことです。
「義母さんのごはん作り、もうやめていい?」
それは、ただのわがままではなく、
「もう限界です、助けてください」
という、心のSOSでした。
けれど返ってきたのは、
「もうしばらく、作ってやってくれ」
という言葉だけでした。
兄嫁は普段、義母に出す昼食として、
白いごはんに醤油をかけただけのものを
部屋まで運んでいました。
義母が言うには、おかずがないなら
醤油だけでもかけてくれと頼んだら、
それから醤油をかけたご飯を
運んでくるようになったそうです。
塩こんぶがのっていたらいいほう。
でも自分たちは、肉を焼いて食べているのだとか。
肉を焼くおいしそうな匂いが
義母の部屋まで漂ってきてつらい、と
義母から聞いたことがあります。
ただ、朝と夜は自分の夫がいるため、
きちんとした食事を出しているようでした。
だからこそ、私が作る料理を
義母は本当に嬉しそうに食べてくれました。
それでも、
私の中では、すでに心と体の限界が来ていたのです。
気力を失ったあと、私は何も感じなくなった
義母の食事作りを、私は約2か月続けました。
その2ヵ月間の私の一日は、こうでした。
→午前中、実母の入院先に顔を出し、洗濯をしたり
リハビリに付き添ったり。
→一旦自宅に戻り、義母と兄嫁の昼食を持って夫の実家へ。
→実母の病院に再び行き、屋上に干した洗濯ものを取り込んだり、
お風呂の日は付き添ったり。
自分の実家へ行き、今度は父の夕食をつくりおき準備し、
→また病院に戻って母の様子を見て、
母の体をマッサージしたり
ベッドの上で簡単なリハビリをしたり。
→ようやく自宅に帰り、自分の家の食事作りと家事。
上の子はまだ幼稚園にも通っておらず、下の子は
生後5ヵ月くらいでした。
小さな二人を連れて、毎日車であちこちを回っていました。
母の病院の事務所の方が
「小さい子は、病室に長居しないほうがいいよ」と
事務所で子どもを見てくれたりしました。
自分のお昼休みに、うちの上の子を連れて
病院のまわりを散歩に連れ出してくれる
方もいてずいぶん助けてもらいました。
私には兄がいますが、
兄のお嫁さんはこの頃は、私の母の病院に
一度も顔を見せに来ることはありませんでした。
当時はまだ父とは同居をしていませんでした。
お正月やお盆になると家族で実家に立ち寄りますが、
父と少し話すだけで、そのまま嫁の実家へと向かうのが常でした。
そして・・
私が夫の実家の義母への食事作りをやめた頃――
私はもう、気力というものを失っていました。
ある日、夫にふとつぶやきました。
「たまには私も、上げ膳据え膳でごはんが食べたい。
一泊でいいから、旅行に行けたらなあ」
返ってきたのは、
「そんなことしたら、金が貯まらん」
たったそれだけの言葉でした。
その瞬間、家の中にいても、
私はひどくひとりぼっちでした。
怒ることも、悲しむことも、
もう、うまく感じることができなくなっていたのです。
セミナーで見えた「一時的な光」と、突きつけられた現実
その直後、当時流行っていた自己啓発のセミナーに行きませんか?と、幼稚園のママ友から誘いがありました。
私が下の子を連れて保育参観に来た際、子育てを頑張っていることはわかるけれど、疲れきっているのがわかったからだそうです。
私がつい、夫の日々の言動を話すと、
「それはご主人も一緒に受けたほうがいい」と言われました。
夫は最初「自分には必要ない」と言っていましたが、
ママ友が説得してくれたおかげで、夫婦で受講することになりました。
セミナー中のワークが始まると、
夫は驚くほどイキイキと将来の夢を語りはじめました。
「これからは家族を大切にする」と宣言し、
実際、その年の夏休みには家族旅行へ連れて行ってくれました。
上の子の七五三についても「楽しみだね」と言い合うなど、
目に見えて夫が変わったのです。
私自身もワークを通じて、自分の心に深い興味を持ちました。
「心理や潜在意識を学べば、もっと自分たちの人生を良くしていけるかもしれない」――。
この経験が、私が本格的に学びを志すきっかけとなりました。
しかし、本当の試練は数年後にやってきました。
日常に戻り、時が経つにつれて、夫は少しずつ元の姿に戻っていったのです。学びを深めようとする私に対し、以前のように私を責めるようになりました。
ある日――
夫から通帳を見せろと、きつい口調で責められました。
「なんでこんなにお金が減っているんだ。心理の勉強?必要ないだろ」
夫は私を傷つける人に戻っていたのです。
あの時の変化は何だったのか……と胸が痛み、
私はまた「大事にされない人間」に逆戻りしていました。
でも、今ならわかります。あのセミナーでの変化は一時的なものでした。
私自身の内側にある「私は価値がない」という
根っこが変わっていなかったから、
現実はまた元に戻ろうとしたのです。
私は胸のあたりが重くなり、
言い返したいのに何も言えませんでした。
『まただ』と自分でも気づいていました。
私って、ほんとうに大事にされない人間なんだ・・。
だから私は、遠慮して生きるしかないんだ。
それでも心のどこかで
(私はこのままの人生を歩いていくのか・・)
という焦りを拭えず、細々と心理を学んでいました。
私はお金がないので、好きなこともやりたいこともやれない・・
心理に出会い、“投影”という真実を知った
心理を学んだきっかけはただひとつ。
母としての自信をつけたい。
人にしいたげられる人生をやめたい。
言われっぱなしで言い返せない私を
やめたい。
やりたいことを堂々とやっていきたい。
そう思ったからです。
講座に通い、心理学や潜在意識、心の仕組みを学ぶうちに、
ある日ふと腑に落ちた瞬間がありました。
「周りの人は、自分の心を映す鏡なんだ」
「私自身が劣等感や無価値感を強く感じていればいるほど、
私の周りにはそれを証明するような強い人や、
自信をなくしてしまうような出来事が起きている」
私を抑えつける夫も、
怖かった父も
実は
「自分には価値がないから、大事にされなくて当然だ」という私の
潜在意識が映し出した鏡でした。
子どもの頃、夫に口答えせず耐えていた弱い母の姿は、
私の思考そのものが投影されていたことに気づきました。
「思考」の謎解きができたようで、
堂々巡りだった思いが、ほどけていきました。
さらに、感情・思考・からだの反応が
すべてつながっていると知ったとき、
私は初めて “「内なる自分」
が私の中にいることを知りました。
「自分には価値がない」と思い込んでいたことを知る
心理を学ぶ中で、
次々と自分の深い心にある、
自分だけの「思考パターン」に気づきました。
・自分の思いが、うまく伝わらない。
・この人はいつも私の思いを受け取ってくれない
その理由は、
「価値観の違い」ではなかったことに。
私はずっと、
弱い自分であるほうが自分らしいと思っていました。
言いたいことを言っては、空気が壊れる
自分の意見は正しくない
いい人でいなければ、自分に価値はない
そう思って、
言わないこと
我慢すること
反発しないことを
選んでいたのです。
しかも
「この人はどうせ、私の気持ちなんてわかってくれない」
と言う前提で話しをしていたことに気づきました。
だから、私の意見を聞き入れてもらえない
現実をつくっていたんだな・・と
腑に落ちたのです。
しかし・・
一度は諦め、夢を封印してパートに出た日々
心理を学び、ようやくカウンセラーとして活動を始めた頃のことです。
「誰かの役に立ちたい」という一心で始めた活動でしたが、
現実は甘くありませんでした。
子どもの教育費はかさみ、家計は火の車。
夫からは相変わらず
「そんなことより家計をどうにかしろ」
「自分勝手だ」と責められ続けました。
「私には、自分のやりたいことを選ぶ価値なんてないのかもしれない」 「やっぱり私は、家族のために自分を殺して生きる運命なんだ」
かつての無価値感がまた顔を出し、私はついにカウンセラーの看板を下ろしました。 そして、未練を断ち切るようにパートに出る道を選んだのです。
家計と心理の勉強資金のためにWワークを頑張る毎日。
「これでいいんだ」と自分に言い聞かせながらも、ふとした瞬間に
(私は本当は何を求めていたんだろう……)と、
空虚な思いが胸をかすめました。
けれど、離れてみて初めて気づいたのです。
パート先で同僚の相談に乗っているとき、
心理の本を読んでいるとき。
私の心に、本当の「灯り」がともることに。
大病と、本当の自分との再会
そんな矢先、私は大病をしました。
日常が一瞬で崩れ、
当たり前だと思っていた明日が遠くなったとき
私は心の奥の 「内なる自分」(こども心) に謝りました。
「ごめんね。自分がどう思われるかばかり気にしてたよね」
「本当はやりたいことを、ずっと我慢させていたよね」
「嫌なことを嫌だって言えなかったよね」
そしてまた、新たに気づいたのです。
言いたいことを言わないと、体が代わりに悲鳴をあげるんだ。
ずっと封印してきた「本当の自分」が、
病気を通して私にメッセージを送ってきたのです。
その瞬間、私は初めて
“病気に感謝する”という不思議な感覚を持ちました。
「内なる自分」にありがとうと言い、
「本当はどうありたいか」を
内なる自分と対話をしながら
決めていきました。
私ははじめて、
自分の人生を生きる「許可」を自分に
出すことができたのです。
「一度は諦めたけれど、やっぱり私はこの道を生きたい」
一度挫折し、どん底で「自分の本当の願い」と向き合ったからこそ、
今の私には迷いがありません。
「自分には価値がないから」と夢を諦めかけたあの日の痛みを知っているからこそ、今、私はあなたに「本当の自分になって、自分を生きていいんだよ」と心から伝えられるのです。
潜在意識の書き換えが、人生の主導権を取り戻す鍵だった
私が最後にたどり着いた答えは、外側の環境を変えようと必死になることではなく、自分の心の深いところ――「潜在意識」を書き換えることでした。
「どうせ私は大切にされない」
「私は無価値だ」という根深い思い込みを一つひとつ丁寧に紐解き、書き換えていく。
すると、あんなに冷たく私を抑えつけていた夫との関係が、魔法のように温かいものへと変わっていったのです。
この衝撃的な変化を目の当たりにしたとき、私は確信しました。
「私が本当にやりたかったことは、これだ。かつての私と同じように、無価値感に苦しみ、声を失っている方たちの力になりたい」
そう心に決め、私は現在、無価値感を解放し、潜在意識を書き換えるカウンセリングを行っています。
かつての私は、セミナーに行ったり、必死に自分を磨いたりして「外側」を埋めようと頑張っていました。
けれど、本当に現実を変える力は、いつだって自分の内側にあります。
潜在意識という心の根っこが変われば、努力や我慢をしなくても、目の前の現実は自然と動き出します。
それを自分自身の人生で証明できたからこそ、私は自信を持ってあなたの手を取り、伴走することができるのです。
「今の自分」をそのまま受け入れた時、人は変わりはじめる
弱い自分、逃げたい自分、言えない自分――
私は自分のことを恥ずかしい人間だと思っていました。
言い返したくても言えなくて、後になって
悔しくなって一人反省会。再現劇場。
でも今は違います。
弱いままでもいい。強くなってもいい。
どうありたいかを選べるのは、いつだって自分。
長い時間をかけ、私は自分を知り、
やっと
「自分を一番に愛しているのは自分だ」という感覚を得ました。
私は今のままで価値があったのです。
その確信が持てたのは、
周りの景色が一変したからです。
夫との関係が
以前のように黙って我慢する関係ではなくなりました。
あんなにお金を使うことにケチ臭かった人が
明日はドライブに行こうか
温泉に行こうかと誘ってきます。
私が買おうかどうしようか迷っていると
買えば?俺が払うよと言ってくれたり。
私は、思ったことを、
落ち着いて言葉にできるようになったのです。
やりたいことをやりたいと宣言し
理解をしてくれています。
子どもとの関係も、
「ちゃんとした母でいなければ」という
力みが抜けました。
そして何より、
自分の人生を
自分で選んでいいと思えるように
なったことが大きな変化でした。
かつての私が喉から手が出るほど
欲しかった
「自由」や「自信」は
外側の環境を変えるのではなく
自分の内側の無価値感を解放することで
手に入りました。
あなたも思ったことを口に出していい
私のカウンセリングは、
あなたの
「弱さ」
「ブレているところ」
「自分の許せないところ」
も否定しません。
逃げたい気持ちも、言えない苦しさも、
人に気を使いすぎてくたびれた心も、
全部、あなたが
一生懸命生き、
自分を守ってきた証拠だからです。
私はあなたに伝えたい。
「だいじょうぶだよ」
「思ったことを、声に出していいんだよ」
「ありのままのあなたで、生きていいんだよ」
*ありのままの自分で、もっと愛されていい*
あなたの内側の小さな声を、
一緒に聞いていくカウンセリングです。
私はそのお手伝いをするために、ここにいます。
「自分には生きる価値がないのではないか」
「誰の役にも立っていないのではないか」
そんな思いを抱えながら、
遠慮して生きる人生を
もう続けなくてもいいのです。
遠回りしたように見えても、
あの時間がなければ今の私はいません。
自信をなくした過去も、
涙を流した日々も、
自分を責め続けたあの頃も、
すべては、
「自分を好きになる」
その道につながっていた大切なプロセス でした。
そして今、私は確信しています。
人が本当に変わり始めるのは、
“欠けているところを埋めよう”と頑張るときではなく、
“今の自分をそのまま受け入れた時”だということを。
これこそが、
私があなたに届けたいカウンセリングの原点です。
自分を信じられるようになったとき、自分が弱くても強くても
どうでもいいと思えます。
自分らしさは自分で決めていい。
なぜなら、自分には価値があると気づいた時、
もう、ぶれない軸ができているからです。
今度は
あなたが、このプロセスを歩み始める番です。
もう、遠慮がちに生きる人生は終わりにしませんか。
あなたの人生の主導権は、
どこまでもあなた自身のものです。




