先日、ふと昔のことを思い出しました。
10年以上前、起業塾を受けるために、東京へ行くことになったときの話です。
遠方からだったので前泊。
土日は家にいる夫に、
「お昼も夜もご飯は用意できないよ」
と伝えました。
すると夫は、
「いいよ。昼は適当にラーメンでも買って、子どもたちと食べておくから」
と、あっさり言ってくれました。
その言葉に安心して、私は一人で東京に向かいました。
数週間後。
予約していた歯医者に行ったときのことです。
担当の歯科衛生士さんは、
子どもの部活つながりで顔見知りの方でした。
何気ない会話の中で、こう言われました。
「この前、ご主人をスーパーで見かけたよ。
カゴいっぱいにインスタントラーメン買ってた」
それだけの話です。
でも、その瞬間、私は心の中で思いました。
「いや、それ言わなくてよくない?」
別に責められたわけでもない。
嫌味を言われたわけでもない。
ただ、事実を言われただけです。
それなのに、なぜか引っかかる。
あなたもこんな感覚、なったことありませんか?
このとき、私の中で起きていたことはシンプルです。
“どう見られたか”が一瞬よぎった
それだけです。
「ちゃんとご飯作ってない人って思われた?」
「いつも手抜きしてると思われた?」
「旦那をパシらせている?」
そこまで明確に考えていなくても、
評価される前提が、無意識に立ち上がる。
だから、ただの一言に反応してしまうのです。
でもここで、はっきりさせておきたいことがあります。
問題は、その人の一言ではありません。
その人は、見たことをそのまま言っただけです。
そこに意味をつけたのは、こちら側です。
私たちは普段、
「人からどう見られるか」
を基準にして生きています。
・ちゃんとしていると思われたい
・ちゃんとやっている人でいたい
・ダメな人だと思われたくない
この前提があると、
何気ない一言でも、
勝手に“評価”として受け取ってしまうのです。
つまり、
他人の言葉に振り回されているようで、
実は自分の中の前提に反応しているだけ
ということです。
では、どうすればいいのか。
ここで必要なのは、
気にしないことではありません。
気にしないようにしようとしても、無理です。
そうではなくて、
「今、自分はどう見られたかを気にしたな」と気づくこと
これだけです。
この“気づき”が入ると、
その一言に飲み込まれなくなります。
反応する自分を否定する必要もありません。
ただ、
「今、他者基準が動いたな」
とわかるだけでいいのです。
他人の一言にイラっとするとき。
そこには必ず、
「こう見られたくない」という前提
があります。
その前提に気づかないままだと、
相手や状況を変えようとして、疲れ続けます。
でも、
自分の内側で何が起きているかに気づけるようになると、
反応は、少しずつ変わっていきます。
他人の何気ない一言に、
心が引っかかるとき。
そこには、
「どう見られたか」を気にする前提
が動いています。
もしあなたが、
「どうしてこんなに気にしてしまうのか知りたい」
そう思ったなら、




