「私がやらなきゃ」
気づけば、いつのまにか頑張っていました。
誰かが困っていれば手を差し出し、
家の中が回らなくなりそうなら、前に出る。
それが当たり前だと思っていたけれど、
いつの間にか、他者の人生まで引き受けていたのかもしれません。
役割は性格ではなく生存戦略だった
私は長子ではありません。
けれど、家族の中で
「長子的な役割」を生きてきた自覚があります。
一人で複数の役割を担う現実
そして最近、ふと思うのです。
少子化が進む今の時代、
実際の兄弟構成に関係なく、
多くの人が「長子的な役割」を
引き受けざるを得なくなっているのではないか、と。
以前は、兄弟が多い家庭の中で、
長子はしっかり者、
次の子はやんちゃ、
末っ子は甘えん坊、
そんなふうに、それぞれが家庭の中で
役割を分け合いながら生き延びる戦略を持っていました。
けれど、核家族化が進み、
子どもの人数が少なくなると、
一人の子どもが、
複数の役割を同時に担わざるを得なくなります。
(ヤングケアラーのニュースと自分の親の介護経験を重ねると
そう思います)
助けてばかりの自分の『役割』に、気づいてしまった
本当は助けてほしいのに、
ずっと助ける側に立たなければならなかったり。
末っ子気質で、本当は挑戦したい気持ちがあっても、
親のことが心配で離れられなかったり、
あるいは、親のほうが無意識に手放せなかったり。
こうした環境の中で、
「本当の自分」と
「家庭の中で求められた自分」が
少しずつ、かけ離れていく。
そのズレが、
大人になってからのストレスや生きづらさとして
表に出てくることも、少なくないように感じています。
その役割はまだ持ち続けていたいですか?
心理的に見ると、
その役割は、誰かに担わされたというより、
自分で担ってきたものだったのだと思います。
そうしなければ、
家庭の中で、
その場を生き抜くことができなかったから。
(※別記事*子どもの頃の愛されるための生存戦略)
けれど、そのことにすら気づかず、
「運命だから仕方がない」
「この家に生まれたのだからしょうがない」
「親を見捨ててはいけない」
そう思い込みながら生きてきた人も、
少なくないのではないでしょうか。
もし今、
その役割を降りたいと感じているなら、
それはわがままでも、逃げでもありません。
その生存戦略(役割)を、
もう十分に使い切ったというサイン。
『学ぶべきことは、
もうそこで学び終えた。
だから、これからは別の生き方を選んでもいい』
私は、そう考えています。
まとめ
もし今、
「もう引き受けたくない」
「疲れた」
そんな気持ちが浮かんでいるなら、
それはあなたが弱くなったからではありません。
「私がやらなきゃ」で生きてきたあなたは、
その役割を降りる資格があります。
降りたいと思ったときに、
降りていい。
それは、
人生を投げ出すことではなく、
自分の人生を、
これから自分の手に戻していくという選択なのだと、
私は思っています。
子どもは家庭の中で一番輝いて、一番愛されたいと思っています。
そのためにいろんな資質で生き残ろうとするのです。
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