「子どもは好きじゃない」は免罪符にならないヤングケアラーを生む家庭で、見過ごされがちな親の責任

兄弟構成からわかる自分の役割のイメージ


あるテレビ番組で、
6人兄弟の小学生の長男が、親に代わって、
家事と弟妹たちの世話をほぼ毎日世話している家庭に
タレントさんが会いにいくという企画があり、胸がざわつきました。


「好きじゃない」は免罪符にならない

──ヤングケアラーを生む家庭で、見過ごされがちな親の責任

子どもが好きじゃない。
子育てが好きじゃない。
家事が好きじゃない。

そう感じること自体は、責められるものではありません。
人には向き不向きがありますし、余裕のない時期もあります。

けれど、その正直さを理由に、
子どもが大人の役割を引き受ける家庭になっているとしたら。
そこには、親として考え直すべき「線」があるのではないでしょうか。


子どもが支える家庭は「いい話」なのか

最近、ヤングケアラーに関する記事を目にしました。
多くの人が感動し、称賛し、
「しっかりした子」「立派だ」と言葉を寄せていました。

けれど私は、どうしても素直に受け取ることができませんでした。

なぜなら、
子どもが家族を支えなければ家庭が回らない状態を、
美談として消費していいとは思えなかったからです。

子どもが頑張っている姿に心を打たれるのは自然です。
でも、その裏で
「なぜこの子が、ここまで背負っているのか」
という問いが置き去りにされていないでしょうか。


「好きじゃない」は事実。でも、それで終わらせてはいけない

記事では、親が
「子どもが好きとは言えない」
「子育てや家事が好きではない」
と語っていたと伝えられていました。

正直な気持ちなのでしょう。
無理に「愛情深い親」を演じる必要はありません。

けれど、ここで立ち止まって考えたいのです。

好きではないことと、
責任を引き受けないことは、同じではありません。

親になることを選んだ時点で、
少なくとも
「子どもが子どもでいられる環境を守る責任」は生じます。

それは感情ではなく、立場の問題です。


無意識のうちに、子どもに預けてしまうもの

親に悪気がないケースは少なくありません。

忙しい。
余裕がない。
自分も必死。

その中で、
「この子はしっかりしているから」
「頼めばやってくれるから」
と、少しずつ役割が子どもに移っていく。

けれどそれは、
親の不安、疲労、責任を
子どもに預けている状態でもあります。

子どもは断れません。
家族だから。
必要とされているから。
期待に応えたいから。

その構造こそが、
ヤングケアラーを生み出します。


子どもは「代替要員」ではない

はっきり言います。

子どもは、
・親の代わり
・家事労働の担い手
・下の子の養育者
・家庭を回す要員

ではありません。

それらを長期間、日常的に担っているなら、
それは「お手伝い」ではなく
役割の逆転です。

子どもが大人にならなければ成り立たない家庭は、
すでにどこかが無理をしています。


親のあり方とは「完璧」ではなく「線を引くこと」

誤解してほしくないのですが、
私は「親は完璧であるべき」と言いたいのではありません。

弱くていい。
苦手があっていい。
助けを求めてもいい。

でも、
子どもに背負わせていいものと、いけないものを区別すること。
これは、親の責任です。

子どもが頑張らないと回らない状況を
「仕方ない」で済ませてしまった瞬間、
子どもの人生時間は、静かに削られていきます。


本当に問われているのは、子どもではない

ヤングケアラーという言葉が広まり、
子どもに光が当たるようになった今。

本当に問われているのは、
子どもの健気さでも、強さでもありません。

大人が、自分の立場を引き受けているか。
そこだと思うのです。

子どもが子どもでいられる家庭。
甘えても、失敗しても、守られる場所。

それを用意するのは、
感情ではなく、覚悟です。
甘えても、失敗しても、守られる家庭。
その土台をつくるのは、やっぱり親の役割です。