私は自分の性格が嫌いでした。

 怖かった父と、小さな私の世界

物心ついたころ、父は「怖い存在」でした。
厳格で、ザ・昭和の男。ちゃぶ台がえしで怒りを表現する星一徹のような、怖い存在でした。自営業が忙しい人でいつも家にはいませんでした。冗談を言ったり、父の体によじ登ってふざけ合ったりという記憶はありません。

たまに会話があると、説教じみていて、思春期の頃は私は父に近づかないようにしていました。
夜、父が帰宅する音がすると、胸がぎゅっと縮むのを感じる。
そんな幼少期と思春期でした。
母は明るい人でしたが、おとなしく、頑固な夫には口答えしない人でした。

私の周りには、ガキ大将のように元気いっぱいの子、しっかり者で仕切るのが得意な子、背が高くて大人びた優等生――そんな“強い子”ばかりでした。
私はいつも彼らの後ろで、半歩さがった位置に立っていました。
みんなの輪に入っていても、どこか透明な自分。
「私なんて」という気持ちが、いつも心の底で冷たく沈んでいました。

言われたことをするのは得意でした。反対に、
「こうしたいです」「こんな風にやってみようよ」など
と自分から言うのは、ほんとうに苦手でした。

人前で注目されることは、もっと苦手。
先生から指示されたとき、クラスの前で名前を呼ばれたときでさえ、
“自分が責められているような気持ち”になり、
顔が真っ赤になり、心臓が痛いほど高鳴りました。

大人になってからも、その性質は続きます。
嫌々PTA役員になり、話し合いの進行役を任されたとき。
嫌で嫌で仕方がありませんでした。

スピーチの段取りは家で何度も練習しました。
何度も声に出し、噛まないように。
それでも本番では頭が真っ白になり、声が震えて止まらない。
話し終えると、ほかの役員から
「すごく緊張してたね」
と言われ、それすら恥ずかしくて、消えてしまいたい気持ちでした。

「私はこういうことが苦手なんだ」

誰かに注意されたり、指示されると、瞬間的に胸が熱くなって、
「否定された」と思い込んでしまう。
顔が赤くなり、声がうわずり、心の中で言い訳がぐるぐる回る…。

劣等感と無価値感は、私の中で静かに、しかし確実に育っていきました。


 「言いたい」が言えない人生

結婚が決まった時、夫が家を建てると言い出しました。
「家は生活が安定してから建てようよ」そう言っても
夫は「いや、建てるよ」
「私たち」の家なのに、家の外観、間取り、キッチンの動線…
私の希望はまったく通りませんでした。

「俺の貯めたお金で建てるんだから文句言うな」

その一言が胸に刺さって抜けなくて、
私はますます自分の意見を口にしなくなりました。

やがて私は心のどこかで
「稼ぎのない私は、言いたいことを言ってはいけない」
と belief(思い込み)を抱え込むようになったのです。

今思えば、ずっと自分には無力感や無価値感がありました。


子育てと、「生きづらさ」の正体に触れた時

子育てが始まると日々は慌ただしく、
気づけば「一人になりたい」が口癖になっていました。

子どもは愛おしい。
だけど、自分の時間がほとんどない息苦しさもあったのです。

「早く子育てが終わって、自分の好きなことをしたい」

そう願いながらも、教育費は増え、
好きな勉強に使えるお金はわずか。
それでも心のどこかで
“私はこのまま終わらない”
という小さな灯りが消えず、細々と心理を学び始めました。

そんなある日――
夫から通帳を見せろと、きつい口調で責められました。

「なんでこんなにお金が減っているの。心理の勉強?必要ないだろ」

私は胸がぎゅっと痛み、言い返したいのに何も言えませんでした。
“まただ” と自分でも気づいていました。

私はお金がないので、好きなこともやりたいこともやれない。

このままではいけない、と心の奥で誰かがつぶやいていました。


心理に出会い、“投影”という真実を知った私

心理を学んだきっかけはただひとつ。
――人からコントロールされているような、自分を変えたい。地に足をつけた生き方をしたい。そう思ったからです。

講座に通い、心理学や潜在意識、心の仕組みを学ぶうちに、
ある日ふと腑に落ちた瞬間がありました。

「周りの人は、自分の心を映す鏡なんだ」
「私自身が劣等感や無価値感を強く感じていればいるほど、私の周りにはそれを証明するような強い人や、自信をなくすような出来事が起ってくる」ということを。
いつも、夫に口答えせず耐えていた弱い母は、私の投影だったと。

長い間絡まっていた糸がほどけていくようで、
なんだそうだったんだ・・。

さらに、感情・思考・からだの反応が
すべてつながっていると知ったとき、
私は初めて “自分の「内なる声」に耳を傾けることをしました。

そして同時に生まれたのです。
小さくて静かだけれど確かな願い。

「この気づきを、あの頃の私みたいに苦しんでいる人へ届けたい」

私はまだ自信がなかったけれど、
心の奥に灯ったこの想いは、本物でした。


 一人反省会という長年のクセ

ただ、この頃の私はまだ自信を得たわけではありませんでした。

私は昔から“あるクセ”があったのです。

それは――
「一人反省会」

会議の帰り道、
カウンセリングの後、
友人との雑談のあとでも、

「ああ言えばよかった」
「もっと違う言い方があったよね?」

車を運転しながら、洗い物をしながら、
ときにはトイレでひっそりと、
ブツブツと独り言を言っては、一人でリハーサル。

そうしてまた
“私はダメだ”
という結論に戻ってしまう。

誰かに責められたわけでもないのに、
私は自分を一番厳しく責め続けていたのです。

そのクセに気づいたとき、
私は “私という人間の扱い方” をようやく理解し始めました。


 カウンセラーになったけれど、怖くて退いた時期

やがて私はカウンセラーになりました。
でも、初めてのクライアントさんを前にした時、
声はうわずりました。

「私の一言がこの人の人生を変えてしまうかもしれない」

恐怖が押し寄せ、
カウンセリングが終わるたび、胸がヒリヒリしました。

次第に私は、
クライアントさんに会うことが怖くなっていったのです。

“向いていないのかな…”
“誰かを救えるほど私は強くない…”
そう思い込み、いったんカウンセラーを離れました。

でも心のどこかで、
私はその道を手放していませんでした。


大病と、本当の自分との再会

そんな矢先、私は大病をしました。

日常が一瞬で崩れ、
当たり前だと思っていた明日が遠くなったとき――

私は心の奥の “チャイルド” に謝りました。

「ごめんね。自分がどう思われるかばかり気にしてたよね」
「本当はやりたいことを、ずっと我慢させていたよね」「嫌なことを嫌だって言えなかったよね」

そして気づいたのです。

言いたいことを言わないと、体が代わりに悲鳴をあげるんだ。

ずっと封印してきた“本当の自分”が、
病気を通して私にメッセージを送ってきたのです。

その瞬間、私は初めて
“病気に感謝する”という不思議な感覚を持ちました。
「内なる自分」にありがとうと言い、

――転機が来たんだ、と自分のこれからを決めました。


「ありのままの自分を好きになる」心理カウンセリングへ

弱い自分、逃げたい自分、言えない自分――
私はそれをずっと恥だと思っていました。

言い返したくても言えなくて、後になって
悔しくなって一人反省会。再現劇場。

でも今は違います。

弱いままでもいい。強くなってもいい。
どうありたいかを選べるのは、いつだって自分。

長い時間をかけ、私は自分を知り、
やっと “自分を一番愛しているのは自分だ” という感覚を得ました。

だから私はもう一度、カウンセラーとして歩くことを決めました。


私のカウンセリングは、
あなたの“弱さ”ブレていることを否定しません。

逃げたい気持ちも、言えない苦しさも、
人に気を使いすぎてくたびれた心も、
全部、あなたそのものであり、あなたの一部なのです。

私はあなたに伝えたい。

「だいじょうぶだよ。
あなたは、ありのままのあなたのままで、生きていい」

あなたの内側の小さな声を、
一緒に聞いていくカウンセリングです。

私はそのお手伝いをするために、ここにいます。

遠回りしたように見えても、
あの時間がなければ今の私はいません。

自信をなくした過去も、
涙を流した日々も、
自分を責め続けたあの頃も、

すべては、
「自分を好きになる」
その道につながっていた大切なプロセス
でした。

そして今、私は確信しています。

人が本当に変わり始めるのは、
“欠けているところを埋めよう”と頑張るときではなく、
“今の自分をそのまま抱きしめられたとき”だということを。

これこそが、
私があなたに届けたいカウンセリングの原点です。