「私も、そうだったのかもしれない」と気づくために
先月、私は還暦を迎えました。
振り返ると、60年の人生は山あり谷あり。
特に40代以降は、体力や体型、気力の変化を強く感じるようになりました。
とはいえ、人生100年時代。
ここからの40年を、もう一度立て直すことはできる。
そう思えるようになったのは、自分の「思考のクセ」に気づいたからです。
病気になると、得をすることがある?
「引き寄せの法則」や「牽引の法則」という言葉を聞いたことがある方も多いと思います。
私たちの現実は、意識していることだけでなく、無意識に思い込んでいることによっても形づくられていく、という考え方です。
良いことも、そうでないことも。
気づかないうちに「そうなってほしい」「そうであってほしい」と願っていることが、現実に現れることがあります。
病気になると、かまってもらえた子ども時代
私は子どもの頃、体が弱く、よく学校を休む子でした。
兄弟が学校へ行っている間、私は布団の中。
母は仕事を休み、そばで看病してくれました。
熱があるときは、すりおろしたリンゴを食べさせてくれたり、
おかゆを作ってくれたり。
その時間は、母を独り占めできる特別な時間でもあったのです。
知らず知らずのうちに、
「病気になると、優しくしてもらえる」
「弱っていると、大切にしてもらえる」
そんな思い込みが心の奥に残っていきました。
大人になっても続いていた思考のクセ
大人になってからも、仕事がつらくなると体調を崩す。
「もう無理」「休みたい」
そんな気持ちを、言葉ではなく体が代わりに表現していたのかもしれません。
病気は、
「やらなくてもいい」
「行かなくてもいい」
そんな逃げ道を与えてくれることがあります。
ずる休みをしていると思われたくないから、
お腹が痛くなる、歯が痛くなる。
少し休めば治る、絶妙な体調不良。
今思えば、とても無意識で、とても自然な選択でした。
「こんなはずじゃなかった」と思ったときが、転機
もしあなたが、病気や不調になったときに
「どうして?病気になるなんて・・こんなはずじゃないのに…」
そう感じたことがあるなら、少しだけ立ち止まってみてください。
もしかしたら、
・何かから逃れたかった
・本当はやりたくないことがあった
・自分は無力だと感じていた
そんな気持ちが、心の奥にあったのかもしれません。
「いや、そんなはずはないです」と否定してしまうより、
「そうかもしれない」と、一度受け入れてみるだけで、
「あ、あのことが思い当たる…」という感覚が出てくることがあります。
被害者になろうとしているとき、加害者が現れる
消極的なとき、私たちは無意識に
「自分は弱い存在だ」
「守られる側だ」
と思い込んでいることがあります。
すると不思議なことに、
その立場を証明するような出来事が起こります。
子ども時代なら、いじめっ子や傷つく言葉を投げる先生。
大人になれば、怒鳴る上司、嫌味を言う同僚が側にいる。
これは誰かが悪い、という単純な話ではなく、
自分の内側の立ち位置が、現実に映し出されているとも言えるのです。
気づいた瞬間から、選択は変えられる
「私、弱い自分になろうとしていたのかもしれない」
そう気づいたとき、責める必要はありません。
その代わりに、選択肢が増えます。
・言い返す練習をしてみる
・受け流すと決める
・仕事に集中する
・思い切って環境を変える
どれを選んでもいい。
弱い自分でい続けなくてもいいと気づけることが、大きな一歩です。
病気になる「メリット」を、そっと見つめてみる
「病は気から」という言葉がありますが、
それは気合いで治せという意味ではありません。
病気になることで、
・休める
・守ってもらえる
・責任から離れられる
そんなメリットを、心のどこかで持っていないか。
胸に手を当てて、静かに問いかけてみてください。
多くの場合、それは子どもの頃に身につけた思い込みです。
気づけたなら、もうそれに縛られ続けなくていいのです。