「私が子育てをしていた頃は「三歳児神話」があったけれど─
私が子育てをしていた頃には、
「子どもは3歳までは母親の手で育てるべき」という“三歳児神話”が当たり前のようにありました。
でも、今は違います。親が心を整えることで、子どもとの関わり方も、働き方も、自分らしく選べる時代になりました。
「3歳までは母親が育てるべき」という神話
これは「三歳児神話」と呼ばれている考え方です。
私も昭和に育ち、母親が家にいるのが当たり前の時代に生きてきました。
だからこそ、「子どもが小さいうちは、母親がそばにいるのが一番」という思いが、自然と心の中に根づいていたんです。
昔の育児書にあった「こうあるべき」
20年以上前に第一子を産んだとき、育児書にもそんなことが当たり前のように書かれていました。もちろん「無理はしないで」という優しい言葉も添えられていたけれど、やっぱり「できれば母親は家にいたほうがいい」という空気が伝わってきました。
だから当時は、働いているお母さんを見ても「きっと大変なんだろうな」「本当は子どもといたいのかな」と、どこか勝手にそう思ってしまっていたんです。
でも実際には、家庭も仕事も楽しみながら過ごしているお母さんたちもたくさんいらっしゃったはず。
けれど、当時の私はあまりそういう方と関わることがなくて、というより、そういう考え方を受け入れる余裕が自分になかったのかもしれません。
時代とともに変わった「当たり前」
子育ては母親だけのものじゃない時代に
それでも、時代は少しずつ、でも確実に変わってきましたよね。
今は「子育ては母親が一人でするもの」ではなく、「夫婦で助け合いながら」「周りに支えてもらいながら」していく時代。
いろんな子育ての形があってよくて、家族ごとに合う方法を選べるようになりました。
自由に選べる今は、先輩たちの努力のおかげ
でも、今の私たちがそんなふうに自由に選べるようになったのは、私たちよりもっと前の時代に子育てをしていた方たちのおかげなんですよね。
育休も保育園も今ほど整っていない中で、
「子どもが小さいうちは、側にいてあげないと」と後ろ指をさされそうな空気の中でも、
家計を支えるために働いて、子どもを育ててきたお母さんたちがいました。
きっと、たくさんの葛藤や罪悪感を抱えながら、懸命にがんばってこられたんだと思います。
そうした方たちの苦労や努力があってこそ、
今の私たちの「選べる自由」があるのだと思うと、本当にありがたいことですよね。心からの感謝と敬意を送りたいです。
子育てに「正解」はない
それぞれの愛情のかたちがあっていい
そして、今を生きる私たちもまた、それぞれのやり方で子育てをしています。
子どもと長く一緒に過ごすことも、働きながら育てることも、どちらも愛情があってのこと。正解なんて、ひとつじゃないんです。
大切なのは「どんな気持ちで一緒にいるか」
でもね、最近とくに思うのは、「どれだけ一緒にいるか」よりも、「どんな気持ちで一緒にいるか」の方が大事なんじゃないかなってこと。
たとえば、親が心にモヤモヤを抱えたままだったり、自分は親から愛されなかったと思っていると、いくら時間をかけても、子どもにはその不安が伝わってしまうことがあります。
でも、もし親が自分の心とやさしく向き合って、少しずつ気持ちを整えていけたら、たとえ一緒にいる時間が短くても、子どもは安心できるんじゃないかと思うのです。
自分自身の気持ちも、大切にしてほしい
「ちゃんと向き合えない」…それでもいい
「ちゃんと向き合いたいのに、うまくできない」
「こんな自分で大丈夫かな」って思うこともあるかもしれません。
でも、そんなふうに悩みながらでも、
親が自分のことを大切にしようとしている姿って、子どもにとってすごく大きな愛情なんじゃないかと思うんです。
子どもとずっと一緒にいることだけが、愛情じゃありません。
「一緒にいる時間に、親が穏やかでいられること」
それこそが、何よりも大切な“安心”につながるんじゃないでしょうか。
あのとき、親としてどうありたいかを考えていたら…
当時は、「子どもが小さいうちは母親が家にいるべき」という空気があたりまえのようにありました。
でも今振り返ると、
もしあのとき、「私は親として、どうありたいのか」「どんなふうに子どもと向き合っていきたいのか」と、自分の気持ちにもう少しだけ素直に目を向けていたら…
子どもへの接し方も、きっと少し違っていたかもしれないな、と思うことがあります。
正解を探すよりも、
「自分の心がどこを向いているのか」に気づくことが、
子育ての大事なヒントになるのかもしれませんね。
「三歳児神話に縛られた私|どう育てるかより親としてどうありたいか」へのコメント
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