― 怒りを押し殺して生きてきた私の体験 ―
怒りは、悪いものだと思っていました。
我慢できる自分でいなければいけない。
そうやって生きてきた結果、
私はある日、何も感じなくなりました。
これは、
我慢しすぎた私が、気力を失うまでの話です。
あの頃の私は、怒る余裕すらなかった
20代、私は仕事を辞め、
実家に戻り母の病院に毎日通う生活をしていました。
介護というほど大げさなものではありません。
でも、朝から夜まで病院に通い、
母の衣類を洗ったり、食事の
介助をしていました。
それが日常になっていました。
その間に結婚し、出産しました。
産後ひと月は自宅で過ごしましたが、
ひと月を過ぎると、赤ちゃんを連れて
また病院に通う生活に戻りました。
2年後。
私が二人目を出産した頃のことです。
その頃、今度は父が糖尿病で入院することになりました。
食事指導を受けるための、短期間の入院でした。
一方で、夫の母はリウマチを患い、自宅でほとんど寝たきりの状態。
動けない義母のことも、常に気にかけていました。
「年を取れば、誰だって病気になるもの」
「親を思いやるのは子として当然」
そんなふうに、ごく自然に受け入れていました。
思えば、私たちが結婚した当初から、
両家の親のどちらかが体調を崩している状態で、
私は当たり前のように、あちこちで細かな世話をしていたのです。
忙しかったというよりは、
次から次へと「役割」だけが私のもとに集まってくるような、
そんな感覚でした。
「○○をしなければ」「○○に行かなければ」
いつも、何かに追われているような毎日でした。
限界だったのは、忙しさではなく「尊重されなかったこと」
その頃、近くに住む夫の実家の兄嫁も出産を控えていました。
兄嫁がお産で入院している間、私は夫の実家へ
昼ごはんを作って持っていきました。
義母のご飯をつくって欲しいと頼まれたからです。
産後は体を休めたほうがいいということで、
退院してきた兄嫁の分のお昼ごはんも作りました。
当時は、
「産後は目が悪くなるからテレビは見ないほうがいい」
そんなことが普通に言われていた時代です。
ある日、
上の子を連れ、やっと首のすわった下の子をおんぶしてお昼ごはんを持っていくと、
兄嫁は笑っていいともを観ていました。
そして、
私が作ってきたごはんを、
テレビをみながら何事もなかったように食べていました。
その光景を見たとき、
胸の奥で、何かが切れました。
怒りというより、
ばかばかしさと虚しさだったと思います。
「もうやめていい?」は、わがままではなくSOSだった
それからまもなくして私は夫に尋ねました。
義母の食事作りを始めて、2か月ほど経った頃のことです。
「義母さんのごはん作り、もうやめていい?」
それは、ただのわがままではなく、
「もう限界です、助けてください」
という、心のSOSでした。
けれど返ってきたのは、
「もうしばらく、作ってやってくれ」
という言葉だけでした。
兄嫁は普段、義母に出す昼食として、
白いごはんにしょうゆをかけただけのものを
部屋まで運んでいました。塩こんぶがのっていたら
良い方なのだそうです。
でも自分たちは、肉を焼いて食べていたそうです。
肉を焼くおいしそうな匂いが義母の部屋まで漂ってきてつらい、と
義母から聞いたことがあります。
ただ、朝と夜は夫がいるため、
きちんとした食事を出しているようでした。
だからこそ、私が作る料理を
義母は本当に嬉しそうに食べてくれました。
それでも、
私の中では、すでに心と体の限界が来ていたのです。
気力を失ったあと、私は何も感じなくなった
義母の食事作りを、私は約2か月続けました。
その2ヵ月間の私の一日は、こうでした。
→朝、実母の入院先に顔を出し、洗濯をしたり
リハビリに付き添ったり。
→一旦自宅に戻り、義母と兄嫁の昼食を持って夫の実家へ。
→実母の病院に行き、屋上に干した洗濯ものを取り込んだり。
お風呂の日は付き添ったり。
自分の実家へ行き、父の夕食を準備し、
→また病院に戻って母の様子を見て、
母の体が硬くならないように
母の体をマッサージしたり簡単なリハビリをしたり。
→ようやく自宅に帰り、自分の家の食事と家事
上の子はまだ幼稚園にも通っておらず、下の子は
生後5ヵ月くらいでした。
小さな二人を連れて、毎日車であちこちを回っていました。
私には兄がいますが、
兄嫁(義姉)はこの頃は、私の母の病院に一度も見舞いに来ることはありませんでした。
当時はまだ父とは同居をしていませんでした。
お正月やお盆になると家族で実家に立ち寄りますが、
父と少し話すだけで、そのまま嫁の実家へと向かうのが常でした。
そして、私が義母への食事作りをやめた頃――
私はもう、気力というものを失っていました。
ある日、夫にふとつぶやきました。
「たまには私も、上げ膳据え膳でごはんが食べたい。
一泊でいいから、旅行に行けたらなあ」
返ってきたのは、
「そんなことしたら、金が貯まらん」
たったそれだけの言葉でした。
その瞬間、家の中にいても、
私はひどくひとりぼっちでした。
怒ることも、悲しむことも、
もう、うまく感じることができなくなっていたのです。
今、あの怒りを思い出してわかったこと
最近、怒りについての記事を書いていて、
あの頃の感情を思い出しました。
あのときの怒りは、
間違っていなかったのだと、今は思います。
私はとても、怒っており、それを表に出すことをしなかっただけなのです。
怒りは、
誰かを責めるための感情ではなく、
自分を守るための感情でした。
あの体験があったから、
私はもう
「私がやればいい」という役割を
無条件に引き受けなくなりました。
それは冷たさではなく、
境界線です。
我慢しすぎた人へ伝えたいこと
もし今、
理由のわからない疲れや、
気力のなさを感じているなら、
それは、あなたが弱いからではありません。
我慢しすぎてきただけです。
怒りを感じることは、悪いことではありません。
怒りは、あなたが大切にされるためのサインです。
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あの頃の私は、
間違っていませんでした。
あなたも、間違っていません。
怒りを押し殺し続けると、
心は自分を守るために「感じること」をやめてしまいます。
怒りは悪い感情ではなく、
行動や変化につながる大きなエネルギーでもあります。
もし今、
怒りも悲しみも感じられなくなっていたら、
それはあなたが壊れたのではなく、
守るために心が止まっただけかもしれません。
その心のしくみについては、こちらで詳しく解説しています。
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