我慢しすぎた人が気力を失うまで|怒りを押し殺して生きてきた私の体験

― 怒りを押し殺して生きてきた私の体験 ―

怒りは、悪いものだと思っていました。
我慢できる自分でいなければいけない。
そうやって生きてきた結果、
私はある日、何も感じなくなりました。

これは、
我慢しすぎた私が、気力を失うまでの話です。


あの頃の私は、怒る余裕すらなかった

私は仕事を辞め、
母の病院に毎日通う生活をしていました。

介護というほど大げさなものではありません。
でも、朝から夜まで病院に通い、
母の寝間着を洗ったり、食事の
介助をしていました。
それが日常になっていました。

その間に結婚し、出産しました。
産後ひと月は自宅で過ごしましたが、
ひと月を過ぎると、赤ちゃんを連れて
また病院に通う生活に戻りました。

結婚したばかりの頃には、
病院を抜けて実家に行き、
父の晩ごはんを作りに行っていました。

その頃、父は糖尿病で入院しました。
夫の実家にいる義母はリウマチで、
自宅で寝たきりの状態でした。

忙しかった、というより
役割が次々に私のもとへ集まってきた
そんな感覚でした。


限界だったのは、忙しさではなく「尊重されなかったこと」

その頃、近くに住む夫の兄嫁も出産を控えていました。
お産で入院している間、私は夫の実家へ
昼ごはんを作って持っていきました。
ご飯をつくって欲しいと頼まれたからです。

産後は体を休めたほうがいいということで、
退院してきた兄嫁の分のお昼ごはんも作りました。

当時は、
「産後は目が悪くなるからテレビは見ないほうがいい」
そんなことが普通に言われていた時代です。

ある日、
子どもをおんぶしてお昼ごはんを持っていくと、
兄嫁は笑っていいともを観ていました。

そして、
私が作ってきたごはんを、
何事もなかったように食べていました。

その光景を見たとき、
胸の奥で、何かが切れました。

怒りというより、
ばかばかしさと虚しさだったと思います。


「もうやめていい?」は、わがままではなくSOSだった

私は夫に聞きました。つくりはじめて2ヵ月くらいの頃です。

「義母さんのごはん作り、
もうやめていい?」

これは、わがままではありませんでした。
限界です、助けてください
という気持ちでした。

でも返ってきたのは、

「もうしばらく作っていってやってくれ」

という言葉でした。

兄嫁は、普段、
義母の食事を
白いごはんにしょうゆをかけただけのものを
部屋に持っていくような人でした。

だから義母は、
私の料理を喜んで食べてくれていました。

それでも、
私の限界は、もうそこにありました。


気力を失ったあと、私は何も感じなくなった

その生活を、2か月ほど続けました。

実母の病院
→ 義母の昼ごはん
→ 実家で父のごはん作り
→ 帰宅して自分の家の食事と家事

その間、
私のほうの兄嫁は一度も
私の実家にも、母の病院にも来ませんでした。

夫の母への食事作りをやめたころ、
私は本当に、気力を失っていました。

ある日、ふと夫に言いました。

「たまには私も、
上げ膳据え膳のごはんが食べたい。
一泊でいいから、旅行に行きたい」

返ってきたのは、

「そんなことしたら、金が貯まらん」

という言葉でした。

そのとき、
私は家の中で、深い孤独を感じました。

怒りも、悲しみも、
もううまく感じられませんでした。


今、あの怒りを思い出してわかったこと

最近、怒りについての記事を書いていて、
あの頃の感情を思い出しました。

あのときの怒りは、
間違っていなかったのだと、今は思います。
私はとても、怒っており、それを表に出すことをしなかっただけなのです。

怒りは、
誰かを責めるための感情ではなく、
自分を守るための感情でした。

あの体験があったから、
私はもう
「私がやればいい」という役割を
無条件に引き受けなくなりました。

それは冷たさではなく、
境界線です。


我慢しすぎた人へ伝えたいこと

もし今、
理由のわからない疲れや、
気力のなさを感じているなら、

それは、あなたが弱いからではありません。

我慢しすぎてきただけです。

怒りを感じることは、悪いことではありません。
怒りは、あなたが大切にされるためのサインです。

======================================

あの頃の私は、
間違っていませんでした。

あなたも、間違っていません。

怒りを押し殺し続けると、
心は自分を守るために「感じること」をやめてしまいます。

怒りは悪い感情ではなく、
行動や変化につながる大きなエネルギーでもあります。

その心のしくみについては、こちらで詳しく解説しています。
▶︎ 怒りはエネルギー|怒りを感じたときの「具体的な使い方」」

▶︎親のために生きて来た人はなぜ苦しいの?