夫の「嫌なところ」というのは、
実は 自分の問題を、夫を通して見ているだけ
ということがあります。
……つらいですけどね。
たとえば、
・リビングに服を脱ぎっぱなしにする
・ゴミ出しをお願いしたのに、玄関に置いたまま出勤した
こんな場面に出くわすと、
「だらしない」「頼りにならない」
そう感じて、腹が立ちますよね。
でもその怒りの正体は、
「相手が、こちらの望む行動をしてくれない」
という思いから生まれています。
人に腹が立つときは「鏡」を疑ってみる
誰かに強い腹立たしさを感じたとき、
「この人を通して、自分自身を見ているのかも?」
と、少しだけ立ち止まって考えてみてください。
昔から
「人は鏡」
と言われますよね。
自分の中にある思考や価値観が、
相手の行動を通して
鏡のように映し出されている、という考え方です。
とはいえ、
そう言われると反論したくなります。
「私は脱ぎっぱなしになんてしない」
「頼まれたことを忘れたりしない」
――私は、そんなにだらしなくない!
という怒りが湧いてきますよね。
視点を少しだけ、自分にも向けてみる
だらしない人に腹が立つときは、
「やりっぱなし、出しっぱなしにしているところが
自分にもどこかにあるかもしれない」
そんなふうに、
視野を変えて自分を振り返ってみるのがおすすめです。
・頼まれたことを忘れて、思い出した時には誰かがやってくれていた
・ルールがあって毎度毎度そのとおりにやらないと、クレームがくることになる
それは、職場でのことかもしれませんし、
友人関係でのことかもしれません。
「ああ、そういえば……」
と思い当たることが、きっと出てくるのではないでしょうか。
自分にだらしなさや人任せにすることがあるのを認めるのは、正直つらいですよね。
でも、人のせいにしている限り、
怒りはおさまらないし、解決もしません。
怒りをぶつけたところで、
夫のだらしなさが劇的に直ることも、ほとんどないのです。
だらしない夫がうらやましい?
もう一つの感じ方があります。
それは――「だらしない夫」が、うらやましいという気持ちです。
どういうことかというと、
それはあなたの子どもの頃の経験に関係しているかもしれません。
たとえば、
あなたが小さい頃に服を脱ぎっぱなしにしていたら、
「ちゃんと片づけなさい!」と親にきつく叱られた、
そんな記憶はありませんか?
だから、怒られる前に自分で洗濯かごに入れたり、
きちんと片づけたりして習慣になったのでしょう。
そうやって「脱い服はカゴにいれる」と、
自然と自分に言い聞かせてきたのです。
そんなあなたから見ると、
平気で服を脱ぎっぱなしにしている夫の姿は、
「私はずっと頑張ってきたのに、なんでこの人は…?」と
強い怒りを呼び起こします。
でもその怒りの奥には、
「本当は、私だってだらだらしたい」
「でも、そんなふうにしたらいけないと思ってきた」
「人まかせは、ダメなこと」と思ってきた
「いいわよね、あなたはだらしなくても怒られないから」
「私だってだらだらしたいワ」でも・・だらだらしたら
結局尻拭いは私の仕事になるから、できないのよっ」
――そんな気持ちが隠れているのかもしれません。
怒りが消えていく考え方
怒りが和らいでいくのは、
相手を責める視点を手放したときです。
たとえば、
「自分だったら、こんな言い方をされたらやる気が出るな」
「こうしてくれていたら、忘れなかったかも」
「ありがとう」と自分が忘れていることでも言われたら
やってよかったと思う。
そんなふうに、
見方を変えるだけで、怒りは自然と小さくなっていきます。
相手への怒りは、
自分にもどこか似た思考や行動のクセがある
――かもしれない。
そう思えると、
感情は不思議と落ち着いてきます。
なぜ、脱ぎっぱなしでも平気なのか
夫が服を脱ぎっぱなしにして平気なのは、
「誰かがやってくれる」と
どこかで知っているからです。
その「誰か」とは、
多くの場合、子どもの頃の母親です。
身の回りのことをしてもらっていた記憶は、
大人になっても、心の奥に残っています。
体は大人でも、
心のどこかでは
「やってもらえる感覚」を手放せていない。
そんな可能性に気づいてみるのも、
ひとつの視点かもしれません。
ということは・・
もし、あなたのお母さんが
叱る人でも、しつける人でもなかったとしたら――。
子どものあなたが服を脱ぎっぱなしにしていても、
お母さんは何も言わず、
黙って洗濯かごに入れていたかもしれません。
ハンガーに掛けてくれたかもしれません。
その姿を見て育ったあなたは、
「脱ぎっぱなし=おかあさんがやってくれる」
「ちゃんとしていなくても、怒られない」
それがあたりまえと思って大人になっていた可能性があります。
そうであれば、
夫のだらしなさも、
今ほど強くは目に入らなかったかもしれません。
これは、
「どちらが正しい・間違っている」という話ではなく、
育ってきた環境によって、
ものの見え方そのものが変わる、怒りの沸点は違う。
という視点を広げるための考え方です。
気づきは、怒りよりも力になる
相手を変えるより、自分の見方を少し変えるだけで、
心がふっと軽くなることがあります。
「変わってほしい」と思うその気持ちは、
「よりよく生きたい」という、あなたの本音の表れだと思います。