50代の暮らし

ミニマリスト目指すと家族とトラブルになる理由

片づけ、整理整頓の本が本屋さんに行けばたくさん並んでいますね。
少し落ち着いてきましたが、最近の流行は「ミニマルであること」でした。

あなたがミニマルな生活を目指して家の中のものを捨てていくと、家族とトラブルになることがあります。

心のバランスを教えてくれるモノたち

なんでもバランスが大事です。

心のバランスがとれている時、私もハッピー家族もハッピー
やることすべてが絶好調。

みんながウィンウィンなので誰も傷つかないし
誰からも傷つけられなものなんです。

例えば家庭がギスギスしているからモノを捨てれば家族の問題が解決するのではと神頼み的に物を捨てて、家族関係はよくなるものなのでしょうか。

心がバランスを元に戻そうとしている時、必ずトラブルがおきる

それはトラブルによって自分の立ち位置(もしくは価値観)に気づく様になっているからです。
なので、たとえばね、
自分は道の真ん中を歩いて進んでいるつもりでも、
「あなた、右の端っこを歩き過ぎてますよ」
「そのまま歩いていると、横の溝に落ちてしまいますよ」
と教えてくれる人がいたら
「余計なお世話!ちゃんと真ん中を歩いているから大丈夫」と
過信しないで、なぜそんなことを今、言われるのかなと
考えてみるといいです。

自分は正しいという正義は思い込み

「自分にとっての真ん中は」は自分の思い込みかもしれないです。
ばかばかモノを捨てていても
周りの人がやさしいと
「それ、まだ捨てなくてもいいんじゃない?」とやさしく言ってくれます。
でも、あなたは
(捨てた方が部屋がすっきりするのに。私は家族のことに一生懸命なのに、なぜわかってくれないの。バカっ)と
優しくないことを考えているので、

あなたの為のアドバイス、「まだ捨てなくていいんじゃない?」が


「捨てないほうがいいよ」になって

それでもあなたは無視して捨てることをしていると

「捨てるなよ!」となり
それでも強行して捨てることをやめないと




「なんで何でもかんでも捨てるんだっ!オマエは人の気持ちがわからないのか?!(ボカッ)」
っとなります。

「ボカっ」は大げさかもしれないけど、「バカか!」はあるでしょう。怒りは暴走します。

これは人を呪っただけ自分に返ってくる、「人は鏡」「相手は自分」という「心のしくみ」なんです。

だから、「まだ捨てなくていいんじゃないか?」と優しく言われた時点で、
「そっかー?自分は要らないけどこの人にとっては大事なものかも?」
「私、自己満足で捨ててばかりだった?」と
一呼吸置いて自分の立ち位置を考えてみることが大事です。

「それはまだ捨てなくてもいいんじゃないか?」と言われた時
捨てることに執着したい私なのかな?と自分を客観的にみることができれば心の真ん中がわかります。

相手の気持ちを考えることこそ、自分の気持ちがわかることだからです。
そこから、本当にここちよい、自分も幸せ家族もご機嫌な空間づくりしたい!とお互いハッピーな関係になっていきます。

こんな心のカラクリをしらないまま、
つまり自分の気持ちに向き合わないまま
みんなやっているからってやっていると
家族の大切なものまで捨てる→→→批判やケンカ→→→リバウンドを繰り返します。

あなたの生き方のバランスを整えてくれる人は
いつも一緒にいる家族だったり、
子供の頃なら、親です。

心には鏡の法則があり、あなたが人のやさしさに気づくまで、周りは「私の気持ちをわかってくれない人ばかり」になります。
私は幸せに暮らしたいのに、家族はあなたの足をひっぱる人だと感じてきます。

それではあなたを協力してくれる人も背中を押してくれる人はますますいなくなります。
捨てなくていいものまで失おうとしているからです。

人の気持ちがわからないのは家族ではなく、あなたのほうだったのです。
心のバランスがとれていないとは心の視野が狭いということなんですね。

ミニマル情報に惑わされないで

片づけの本がいまだに店頭に並んでいるということは
世の中に片づけられなかったり、捨てられなかったりしている人が
ごまんといるということです。

それはなぜか?
あなたが本当に片づけられるようになっては困るのです。

なぜなら、片づけの本が売れなくなるから。

だからあなたが断捨離やミニマルに失敗して
次々に片づけの本を買ってほしくはありません。

片づけも断捨離も自己啓発のひとつでビジネスがからんでいます。
(著作者が悪い訳ではありませんが。念のため)

セミナージプシーの人ならわかると思いますが、
セミナーに行くと、場の雰囲気で「なんでもやれる」という、
自意識が芽生えるある種マインドコントロールをされます。

任侠映画をみた気弱な人が、肩をいからせて映画館から
出てくるようなものです。
ところで一点集中が得意な人はこの流れにのって自己を啓発していきます。断捨離もそうです。

自分のことを弱いと思っていると強いモノに憧れ
「私は片づけられない人」と弱気になっていると、ミニマルで暮らしている人が幸せそうに感じます。
これはあなたの所謂「罪悪感」が刺激されているからです。

未熟な自分が好きですか?

モノが視界から消えると、確かに気分はスッキリしますよね。
脳のしくみから言うと、脳は錯覚しやすいので
今の状態が「ずっと続く」と勘違いします。
「すっきりした状態がずっと続く」と思い込みます。
それは「この状態を維持しなければ」という思いがそうさせているからです。
だから、やみくもに捨ててしまいます。

私たちの現実で「ずっと続く」という未来永劫なんてあり合えないと
潜在意識が思い出すと、断捨離はリバウンドするのですが、

リバウンドは悪だと思っていると
無になることに重きを置いてモノを排除していきます。
「ずっと維持していかないと」また弱い自分に戻ると勘違いするからです。

だから排除することに執着します。

これが捨てることをやりすぎた心の変遷です。

もともと、断捨離とは自分軸が無い人に
モノを「自分の意思」で手放して自分の軸をつくりましょう、と
言っているものです。

断捨離をすれば、完璧。部屋にモノがなかったら褒められる
この幻想が自分にあることを、自分では気づけません。

気づけないから、いつまでも「なんで捨ててしまうんだ!」と怒られるわけです。

捨て過ぎて、嫌われてしまうなら

捨てる目的は「執着」を手放しましょう。です。
それだけ、あなたは執着が強かっただけのはなしです。

何に執着していたのか?
それは外側の人に幸せにしてもらうことです。

「夫が私を幸せにしてくれるはず」
「会社が自分に気持ちよく仕事をさせてくれて給料くれるはず」
「あの人がいなくなれば私の心は安定する、はず」

この思い込みこそ、他者への依存であり他者への執着です。

執着=依存です。

 

あなたはなぜモノを排除したいの

モノは心を映し出す鏡と言われています。
部屋が散らかっているのは、、心の中もちらかっていますよ。と言われています。

外側に求めた思考はブーメランのように
時間差をつくって自分に返ってきますから、

ならば、まったくモノのない部屋は
あなたの心の中もガランドウということで整合性がとれます。

あなたもモノを捨てれば、別の何かも捨てしまっているのです。
本当は必要なものまで捨ててはいませんか・・。

モノを捨てるだけでは人生は変わりません

あなたが断捨離してもリバウンドするのは
あなたは断捨離の著者さんとは違う人生を歩んでいるからです。

断捨離でうまくいくのは無の境地に近いこと。
ミニマルは断捨離成功者へのバックエンド、流行のひとつと捉えたほうがいいようです。

ある意味悟りに近い気持ちにならないと魅力を感じないライフスタイルでしょう。

酸いも甘いも噛み分けた経験あってからこそ行きつく断捨離です。

断捨離やミニマルを悪と言っているのではありません。
執着や依存が悪いことではありません。

自分だけ心がスッキリしているだけで、周りの人は幸せなのか?ということ。

現在は脳のしくみや心のしくみが研究解明されてきましたので、
滝に打たれたり
仏門に入らなくても
断捨離しなくても自分磨きや自己成長ができるような時代です。

自分の心に向き合う方法はたくさんあるということ。
心やすらぐライフスタイルは人のまねしてもやすらぎはないこと。

ヨガだけが健康や心の平安ではないように、
モノが無いだけが、あなたに幸せを導くものではありません。

あなたが幸せになる道や方法は
あなたが気づいていないだけで、もっとたくさんあるということに
気づいて欲しいのです。

それは、どの場所でどの方法で自分磨きしたいか?の違いなので
私がとやかく言うのもおかしな話しですが、

家族から嫌われない、家族があなたの未来を不安に思わない
自分磨きがいいんじゃないでしょうか。

嫌われていたり周りを心配させるのは、あなたの思考が極端でありバランスを欠いているのです。
また、ミニマリストを目指したら家族がぎくしゃくしてきたというのは、元々あった火だねが露呈しただけにすぎないのです。

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