こんにちは。今日は「無価値感」についてお話しします。
「私なんて、誰からも必要とされていない」「どうせ相手にされない」
そんな気持ちがふっと顔を出すこと、ありませんか?
実は、その思い込みこそが、現実の人間関係や出来事に影響していることがあります。
無価値感がつくり出す現実
今思うと、専業主婦だった私は「価値かないから、外に出て稼いで来なきゃ」という思考があって働き始めたんだと思います。
遡れば、結婚が決まった時、夫から「オレが貯めたお金で家を建てるのだから、(間取り等)口出しするな」と言われたので、望まない一戸建てが建ちました。
年配の親戚や親からは、結婚と同時に家を建ててもらえるなんて、幸せだねと言われることが超~嫌でした。
夫は、最近でも「オレが稼いだお金だから、どう使おうと勝手だろ」と言って
何の相談もなく残クレで車を買い換えてしまったし。
どう思います?車種もボディーカラーもシートカラーも勝手に決めたんです。
自分はほとんど乗らないのに。
私の目の前でそんな現象が起きたのは、
「お金を稼げない私には、価値がないんだ」
「価値がないから、意見やアイデアも聞いてもらえないんだ」
と、自分の価値を下げていたからだろうと思うのです。
話が逸れますが、
それで、自分は価値がないから働かなきゃと
パートに出たのでした。
でも、どこかで「私だって稼げる」「私だってお金を自由に使いたいよ」と
お金のためだったのです。
時短のパートにしたのは、家のこともある程度
ちゃんとやりたかったから。ごはんをつくったり、趣味の習い事も
平日、帰宅後の午後に行く時間もつくれるから。
とにかく、子育てに追われて自分のことは後回しにせざるを得ない毎日の身としては「自分の時間が欲しかった」というのが一番でした。かといって時間給なので給料は低く。足りない分の食費と子供の部活の遠征で請求される交通費などをまかなっていたらほとんど残りませんでした。
お金が欲しい。でものんびりする時間も欲しいという
葛藤を持ちながら働いてきた。ということに、今になって気づいたんです。
なんでも、お金に対する不安、つねにお金の心配をしているということが、
一番のストレスだ、といっても過言ではないそうです。
お金のためだけに働くと体を壊します(経験者)
話を戻します。
私たちの心の奥には、いつも“見えない”色つき”メガネ”があります。
「色めがねで人を見る」という言葉があります。
着色レンズを通して見る景色が実際とは異なるように、私たちの心にかかる「色眼鏡」によって、物事が歪んで見えてしまう状態のことです。
「自分は価値がない」というメガネをかけていると、どんなに人から褒められても「お世辞だろう」と受け取れなかったり、
「誘ってもらえなかった」「連絡がこない」など、都合の悪い出来事だけを拾ってしまいがちです。
その結果、ますます「ほら、やっぱり私なんて…」と自己証明してしまう。
これは、あなたが悪いからではなく、心のクセがそうさせているだけなのです。
無価値感をやわらげる心のあり方
では、その心のクセをどうやってゆるめていけばいいのでしょうか。
ポイントは“他人の反応”より“自分の内側”に目を向けることです。
つまり自分が”何色のめがねをかけて自分自身と、家族や同僚も、ニュースの出来事にしても、見ているのか?”と知ることです。
赤い色のめがねで部屋の中を見れば、夕焼け?と思うくらい部屋は赤く見えます。夫や隣
のデスクに座っている同僚も、赤い炎に包まれている人に見えるのです。
緑のめがねで見れば、草原に居るかのように緑に見えますし、すれ違う人の肌もすがすがしい人にみえてしまいます。
「価値があるかないか」は、かけているめがねの色で決めているんですよね。
あなたも私も存在そのものに価値があります。役割や成果がなくても、呼吸しているだけで尊いのです。
赤いめがねで見ている現実が辛かったら、
違う色のめがねに掛け替えることをやってみよう。
「稼いだら自分の価値が上がる」のではなくて、
「私は価値があるから、稼げるんだ」と脳に繰り返し伝えることにしました。
だけど、次々に自分の足が引っ張られるコトが起きます。
すると、また、自己肯定感が下がる自分がいます。
そんな時は
「また無価値感が出てきたな」と気づいて「今そう感じているんだね」「自信が持てなくなっているね、私」と受け止める。
否定せず、ただ認めるだけで今は、そんな時間だからと、起きたことはスルーしよう。
だれだってすでに価値ある存在。
無価値感を感じる思考は、たいてい子どものころの体験や環境で身についた“古い思い込み”です。思い混みこそが、色つきめがねのこと。
それは今のあなたに必要ない“古い服”のようなもの。
服は、着替えることができます。
少しずつ脱いでいくことで、あなた本来の輝きが見えてきます。
認めてもらうために、価値が必要なのではなく
価値がもともとあるから、愛されているし、
愛を与えられるんだと、自分を信じてるのが一番ですね。