(画像お借りしましたhttps://search.yahoo.co.jp/)
浅田真央さんが21年間の
フィギュアスケート選手生活を引退されました。
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Contents
日本のフィギュアスケートスケートスケート界をひっぱってきた
バンクーバーオリンピックで銀メダル(19歳時)をとり
日本のフィギュアスケート
メジャーにして
ひっぱってきた功績が素晴らしです。
うちの娘と同じ歳で
誕生日も秋で
名前も似ていて
私も真央ちゃんの亡きお母さんと
同世代なので
とても親近感があって
ずっと応援してました。
すらっとした体と長い手足に
日本的な涼しげな顔出ち。
私は彼女のいでたちから
「和」的な雰囲気をみていたのでした。
天女のようなふわりとした柔らかさがありながら
しかしトリプルアクセルにこだわり挑戦する、ギャップ。
ストイックというより、
「がまん強い」「真面目」と日本語で表現してあげたい気持ちがあります。
それは記者会見での受け答えにも表れていました。
「つらいと思ったことがない」
記者会見の質問の答えで、
真央ちゃんは「スケートをしていて、つらいと思ったことはあまりない」そうです。
本当にスケートが好きだったことがわかります。
きっとつらいこともあったはずだけど、好きだからつらいことも乗り越えることができた。
好きであることって、とても大切なことだなと思います。
年齢制限でトリノオリンピックには出場できませんでした。
でも、ファンは覚えているんです。
フィギュアスケートでは、オリンピックの前年の6月30日までに15歳になっていないと、
出場できない規定があり、真央ちゃんは出られなかったのです。
誕生日は1990年9月25日です。
そんな規定があったの?と誰しも思ったはずです。
出場していたらどんな演技をしたのでしょうね。
生まれ変わったらスケートの道には行かない
ーーーー生まれ変わるとしたら、もう一度フィギュアスケーターになりたいか。
うーん、今こうして26歳までスケートをやって、全てやりきって、もう何も悔いはないので、もしもう一度人生があるなら、スケートの道には行かないと思います(笑)。
ーーーー例えば何に?
いろいろありますね、やっぱり。食べることが大好きなので、ケーキ屋さんとか、カフェとか、レストランだったり。そういうのをやっていたのかなと思ったりもします。
引退記者会見の一問一答より
生まれ変わったら、もうスケートの道には行かないというのは、
やり遂げたり、達成感がないと出ない言葉ですよね。スケートは人生そのものと答えていた真央ちゃん。自分で決断されたことなので、誰も引退を止められないです。
ケーキ屋さんとか、カフェだなんて、食べるのが好きな真央ちゃんらしいです。
真央ちゃんを奮い立たせていた想いとは?
ソチオリンピックが終わって休養。それから復帰。
平昌五輪に出るという目標を掲げたことで、
目標をやり遂げなきゃいけないと思っていたので、
言ってしまったこととの葛藤がずっとあったそうです。
そうなんですよねーー。
人生の中で、後ろ髪をひかれながら辞めたり、あきらめたりするのが一番後悔することですよね。
注目されている人だから余計悩みが大きかったと思います。
でも、やり残したことがないなら、新しい人生の滑り出しは軽やかですよね。
好きだから、きっといろんな形でスケートに携わってくれると思います。
笑顔と涙が印象的な会見でした。
存在そのものが金メダルな浅田真央ちゃんです。
お疲れさま、そして感動をありがとう。
いつまでも応援してます。
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