やめてみた・捨ててみた・ミニマリズム

縁の欠けた食器を捨てられない息子の心の傷を察する母

息子が持って帰ってきた丼は縁が欠けているので処分して欲しいのですが、本人が捨てようとしません。
思い出の物だから捨てられないのでしょう。

思い出の物は捨てられない

この息子は数年女性と同居していたのですが、このたび別れて帰ってきた息子です。
1匹の猫と共に、数枚の食器や洋服、漫画本を持って帰ってきました。

私物は息子の部屋にあるのでいいのですが、この丼はうちの食器棚に割り込み収納されてまして今ぎゅうぎゅう状態です。

数年前、私は大量の食器を処分しました。お気に入りだったカップ&ソーサーも意を決してフリマサイトに出して手放してきました。

食器が減ると、どこに何があるのかよくわかり取り出しやすくなりました。家事動線を見直したので料理もそこそこやる気になりました。

現在の食器棚の中はほぼ「1軍」揃いの先鋭たちのはずだったのですが、息子の数枚のモダンな柄の食器が場所をとってしまって私のテンションはちょっぴり下がってます。

欠けたお茶碗は運気が下がるとも言われていまして、よく似た丼に買い替えようよと促すも、何か言葉を濁します。

単に自分にとって便利グッズだから捨てられないのかも

帰ってきた当初、片づけの最中にこの弁当箱どうするの?と持ってきたお弁当箱のことを聞いたら、もう要らないと自らゴミ袋にポイしたのですが、
なぜか丼は欠けているのに捨てません。

丼というのは直径が15cmくらいのミニ丼なのですが、確かに使い勝手がいいです。厚みがあって座りもよく幾何学模様のモダンな柄がサラダなんかにも合うのです。
でも、ほんのちょっとの縁の欠けが、惜しい。

物事を合理的に考える人の場合、これが無いと困るというので手放さないだけなのかもしれません。
よく似た機能の、代わりになるものが見つかると即乗り換えられるのでしょう。

使い慣れているので、面倒くささから捨てないだけということもあります。

壊れたものを捨てるコツとは

どうやら息子は過去の思い出にしがみつくタイプの様です。わかれてはじめて、幸せな時間が流れていたことに気づいたのではないでしょうか。
その幸せの象徴が、きっと彼女が作ってくれた料理で、出番が多かったこの欠けたミニ丼だったのかもしれません。私の妄想だけどね。

時々かわいそうな自分を思い出してあげよう

つらい出来事は忘れたくても忘れられないようになっています。
忘れようとするのは、「ある」と認識しているから忘れようとしているだけなのです。

心の中に「ある」のだから時々思い出して、相手を非難するもよし
時々思い出して、自分を責めてしまうのも、それも仕方のないこと。

思い出す度に涙してしまうかもしれません。
そんな過程を経ないと、つらい思い出は消えていかないものなのです。

何度も思い出しながら生きていくうちに
ある日ふと、相手が全部悪かったわけではないとか
自分も子供だったなとか
あれがあの時の最善の選択だったのだと思えるようになると

不思議と傷が癒えているものなのです。
その時は新たな人生の扉の前にいるという感じでしょうか。

彼が「もう要らない」と思うまで、しばらくこの丼は使っては洗い収納されるのでしょう。

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