「私の親は毒親だった」
そう感じている人は、今の日本でも少なくありません。
親からの過干渉、支配的な言葉、無関心、暴言、暴力。
子ども時代に受けた壮絶な心の傷は、そう簡単に消えるものではありませんね。
だからこそ、「毒親」という言葉を使って、自分の生きづらさを整理しようとするのは自然なことです。
ですが、もしその考えにずっと縛られているとしたら、少し立ち止まって考えてみてほしいのです。
「毒親」と名づけた瞬間、親を悪者にしてしまう
「毒親」という言葉には、強い力があります。
「毒になる親」という心理学者の本が日本にやってきたとき
ちょうど子育てが始まった頃の私には、怖い言葉でした。
ところで、「私の親は毒親だ」という感覚、
それは「自分は親の被害者である」という立場を固定してしまっていることになります。
親を悪者にすることで、自分の苦しさの理由がハッキリする。
でも、そこに留まり続ける限り、私たちは「受け身の人生」から抜け出せなくなってしまうのです。
「親のせいでこうなった」と思っているうちは、自分の人生のハンドルを誰かに渡したまま。
その“誰か”が、たとえもう自分の目の前にいない親であっても、心の中の親の亡霊が、あなたの運転席に座り続けてしまうのです。
気づかぬうちに、親を投影してしまう
「夫が冷たい」「子どもが言うことを聞かない」「職場の人間関係が苦しい」
そんな悩みの根っこをたどっていくと、実は“親との関係”が影を落としていることがあります。
親に支配されて育った人は
大人になった今も職場には、いつもイライラして
暴言を吐いて、指図ばかりして人をアゴで使う上司に苦しんでいるものです。
無意識に「支配するか、されるか」という構図で人間関係をつくってしまうのです。
逆に、親の顔色を見て育った人は、他人の機嫌を過剰に気にしてしまう。
結果として「自分の欲求や望みを言えずに」これまた、人に振り回されるような関係を繰り返しているのです。
それは、あなたが弱いからでも、ダメな人間だからではありません。
むしろ、「毒親」な親との関係を通して学んだ“生き延びるための知恵”が、今も無意識の中で働いているだけなのです。
でも、その知恵がいまのあなたを苦しめているとしたら
もうその「自動反応」を手放す時期なのかもしれません。
「親を許す」ことでは難しい
「親を許さなければ前に進めないのか?」と感じる人もいるでしょう。
でも、目的は親を許すことではありません。
大切なのは、「親をどう見るか」ではなく、「自分の人生をどう生きるか」にシフト変換をすることです。
毒親のせいでも、自分がダメなせいでも「誰のせいでもない」と決めること。
うちの親は「毒親だったので、これからどう生きるか?」なんて決められないと
心が空白になっているのでは、人生の時間がもったいない。
親に縛られたままでは、自分を生きられない
「親がこうだったから、私はこうなった」
その考えは一時的にあなたを救ってくれるかもしれません。
でも、そのままでは、いつまでたっても“親が中心”の人生になってしまいます。
自分の人生を生きるというのは、親から自由になること。
親を切り捨てるのではなく、親の影響を“自分の外側”に置くことです。
あなたは、親のコピーではありません。
あなたは、あなたとして生まれ、あなたの人生を歩むためにここにいるのです。
「毒親」という言葉に振り回されず、自分自身の物語を生きていきましょう。