それは潜在的に成長したいと思っているから求めるのだと思います。
先生って知らない人に知っていることを教える役目とか、落ち込んで生きている人のステージに引き上げる役目があるんです。
また生徒は信じて追いていくのが生徒だと思うんです。
生徒(弟子)になる人って、その先生のことを「自分にないものを持っている」と魅力的に感じて引き寄せられていくんだと思う。
憧れであったり、目標であったり。
自分が欲しいものを先に手に入れている人って、尊敬するし教えて欲しいと思います。
だから自分の未熟な部分がこの先生の言うとおりやってみることで成熟していく。満たされていくから学ぶことが楽しいです。
頑張った末、満たされたと感じた時は先生と同じくらいか、ちょっと足りないくらいまでステージが上がった時で、充分能力が育ったという頃かもしれません。
そうすると、偉大にみえていた先生がフツーのおじさんにみえたりするものなんですよね。
先生が何か特別なモノを持っているように感じるから、教えてもらうのだけど。先生と同じモノを手に入れはじめると、なんだかずっと前から自分も持っているような気持ちになってしまうってあると思うのです。
それに、偉大な先生が陰で案外泥臭いことやっていることを知って、なんだ偉大じゃなかったってがっかりするというか(笑)いったい先生にどれだけ神様のような「完璧」を求めていたんだい?って誰かが突っ込まないと勘違いしていることもあります。
あの時憧れた、先生が持っていた「特別なもの」は自分が持つとなんだかチッポケに感じたり、平凡に思えたり。たったこれだけ?と思ったり、欲しかったものはこれじゃあない、と否定したり。だから先生もフツーの人に見えてくるのです。
でも、それって自分が成長したってことで、まずそれを喜ばないとね。
自分の成長を認めることが、先生へのリスペクトでしょう。
あーーそうか!先生が小さく平凡に見えている時って、自分を小さくみているからなんですよね。
それに先生って先生になったからこそ泥臭いことを見えないところでやっているから、チッポケに見えた先生ほど、偉大で努力家なんですよ。
教えること学ぶことは成長なんですね。
お互いが成長したいと思っているから、師弟関係ができるのだと思います。生徒だけが成長することって、ないんですよ。