悔しいです。メルカリに出そうと準備していたコーヒーメーカー(中古)が出せなくなりました。
やめていた朝のコーヒーが復活してしまったからです。
この夏、食費節約のためコーヒー豆(粉)が切れたのを機にコーヒーをやめていたのです。
ところが夫と昨日買い物にいき、いつものスーパーは夕方だったため、いろんなものが品切れでした。
帰り道、別のスーパーに寄りました。そして、「ここにはあのコーヒー豆(粉)があるから、買っていこう」と言うではありませんか。
え?せっかく毎朝のルーティン作業がひとつ減って喜んでいた私だったのに、またコーヒー入れるんかい?と残念な気分に。
私は、コーヒーを入れなくなったので、コーヒーメーカーをメルカリで売っちまおうと思って、その日を狙っていたんです。
コーヒーメーカーを漂白したり除菌したりできる限り良い状態で出品しようと思っていたんですよ。ただ、すぐさま出品するのも気が引けたので棚の端でコンセントを抜いて置いておきました。
夫はまたコーヒー豆を買おうと言ったのです。
やっぱり、食べ物の恨みって恐ろしいというか、食習慣って変えられないものなんでしょうか。夫は買い置きする食べ物や嗜好品が決まっています。
朝ごはんに魚をほぐして甘辛く煮つけられた缶詰、佃煮昆布、納豆。それらを必ず切らさないように買って朝食に食べています。たまにベーコンと目玉焼きにサラダを出そうとしても「いらない」と言います。
そして、朝のコーヒー。出勤前、仕事への士気を上げるために必要な飲み物だったのかもしれないけど、やめられない止まらないは依存性があります。
だからといってコーヒーが悪とは思っていないですよ。健康面でもよい効果があると言われていますからね。
私が気になるのは、夫に対してなんです。夫は妻が「やってくれる、作ってくれる」と当たりまえと思って自分の食べたいモノをスーパーのカゴに入れて買ってしまうところがあります。自分が本当に食べたいものだったら、妻が忙しい時や留守のときに自分で調理して食べてくれたらいいものを、私が調理しないとずっと冷蔵庫の中に残ったままなのです。
私だって、食材を使い切る順番や1週間分のメニューをイメージして買い物をしているのですよ、できれば私は避けていたいインスタント性の食べ物ばかりをカゴに入れます。誰だってこれだけは譲れないという食品の買い方や、食べ物があると思いますが、その譲れないものが多すぎるのです。
ウオーターサーバーをやめ、次はコーヒーメーカーがなくなれば、またキッチンがすっきりしてシンプルライフに近づけるかなと思っていたのですが、まったくの誤算でした。
ああ、でも今日みたいに冷え込んだ朝、久しぶりにコーヒーのにおいがキッチンとリビングに漂っていて、それはそれで幸せな朝だと思ったのでした。