50代の暮らし

子育てに自信がない時

毎日の子育てを頑張ることができるのは、子供の未来を信じているからです。

親はわが子に求めることが多い

勉強ができるようになって欲しい
友達がたくさんいてほしい
健康であってほしい
運動ができるようになってほしい
お金持ちになって欲しい
お金に困らない生活をしてほしい
豊かな暮らしをして欲しい
いい人と巡り合って幸せになってほしい

だから学校に行かせます
塾に通わせます
習い事もさせます
遅刻をしないようにします
栄養を考えて料理つくったりもします
虫歯にならないように、歯磨きさせたりもします
どれも子供に良い未来がくることを信じているからです。

なのに、多くの親は
これをしてあげられなかった、とか
もっと、こうやって育てるべきだったとか
私はすぐに怒るダメな母親で…と子育ての途中ながら
親としての評価を小さくしてしまう人、多いんじゃないかなと思います。

それは、あまりにも子供にしてあげることが多く
親が自分のことを後回しにしていることと、

結果がずっと先のことで
子供の未来が見えてこないからです

それで、こんなに一生懸命やってきたのに
子供は上達していないとか
サボってばかりでとか
焦ってしまうんですね。

こんな時、親としての自信はなくなります
無駄なことやってきたようでやめたほうがいいのではと悩みます
無理強いをしている、ダメな親だと悪い方に考えます

親として子供にやっていることを、小さく見積ってしまうことは
私たち親はこれだけあなたの人生を支えるんだよ!っていう親ごころが
子供に伝わりません。

しかたありません。子供は大人にになったことも子育てをしたこともないので親の気持ちがわからないものなんです。

だから平気で反発したり、やりたくないとか、どうして勉強しないといけないの?などと言って親を困らせるんです。

子育てに自信がない時は今までの子育てを客観的にみよう

自信がなくなった時は
子供が生まれた時のことを思いだしてみてください。

赤ちゃんは大人が世話をしないと死んでしまいます。
それを知っているから
夜中に起きてミルクをやってきました

赤ちゃんが寝ないと心配し
ずっと寝てばかりだと、息しているのかやっぱり心配してきたのです

ミルクは足りているか
オムツは濡れていないか

四六時中、子供のことを考えて子供の世話をしてきたのです

そんな、言語が通じない、泣くことでしが自己主張をしない、トイレでおしっこをするることもできなかった怪獣を
あなたは一人の「子供」に成長させてきたんです。

親になるってすごく精神を鍛えられるのです。

子供が出来る様になった分、いえそれ以上
親として「やってあげ」て、子供に自分の時間を捧げてきたわけです。

子供が自発的にやることが増え、結果もついてきてなんでもできるようになってくると
必然的に親として「やってあげる」ことは減っていきます。

これが自立です。

愛されていないと、子供は親離れできない

そこがちゃんと伝わることで、子供も安心して羽ばたきたいと願うんだと思います。

愛されていることがわかって初めて、親離れしてもいいんだーって安心すると思うのです。

たとえ失敗しても、この親なら自分を見捨てないだろうという安心。

人生の土台は親

親は子供の人生の土台、いいえ。踏み台でいい

体の大きな大人に肩車をしてもらった子供は遠くの景色までみることができました。

視線が高くなった子供は視野が広がって

「あれは何?」

「どうしたらあそこまで行ける?」

と自分に未来があることを知るんです。

だけど

親という土台(肩車)を頼りないと感じていると

恐る恐る垣間見た未来は、ちっとも魅力的には見えないでしょう。

わが子には、幼い日パパの肩車で見たあの時の景色があったから、

「こんな遠くまで自分の足で歩いてきたんだ」と未来に思って欲しいですよね。

自分の親は自分の過去であり、未来でもある

親って子供の人生の土台になっているんだな、と感じるのは、

父親って子供がせがむなら、何度も何度も肩車して「しょうがないなー」なんていいながらもやっている。

土台で結構。オマエもいつかはパパみたいな土台になれって、背中で教えているみたいです。

これは、オマエの未来を信じているから土台になるのもいとわないよ、ってことですよね?

喜んで人生の土台になってくれるのは、親くらいなものです。

だから「親」なのです。

なんだか、ニワトリが先か卵が先か的は話になりますが、

親になるというのは、子供の土台になり子供に未来を見せてあげる、

それは、子供の視野を広げてあげる、、

とても大切な役目を一番身近で担っている人だと思います。

子育ては、共育(きょういく)です。片方だけ成長することはありません

子供が無理やり大人になっただけでは

無理矢理歩かされて

無理矢理肩車されて

無理矢理望んでもいない未来を見せられた・・

と、被害者意識が大きくて

自分の成長を喜べない大人になるんじゃないかな

自分をちっぽけだと決めつけてしまう、負の連鎖のような

思考の連鎖があると思います。

だから、親は子供にできること、してあげられること

ずっとしてあげたいこと。

小さく見積もらないで、

堂々と土台でありたいんだと言っていいと思っています。

親を踏み台にして大きくなっていいんだよって言っていいと思います。

それは、経済的なことかもしれないし、

オブザーバー的な役目かもしれないし

見て見ぬふりしてあげることかもしれないし

みんな親は最善の選択で子供を育てているからです。

自分の親の子育てを肯定してみよう、そこから見えてくるもの

親子である事実なんて、変えようにも変えられないものなんだから、

変えられないものなら、「この土台(うちの親)は素晴らしい」って思ったいたほうが、いいですよね。

それは親である私たちが、

自分の親のことを「もっと立派な親に育てられていたら」
「私がお金持ちの家に生まれ育っていたら」
「教育熱心な家庭じゃなかったから」と

育った環境のせいにして

いつまでも自分を小さくしていないか、心をチェックする必要があります。

自分がどんな親に育てられたか、肯定できるとこを

一つでも多く探し出すことが大切だと思います。

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