男の妻に対する「プライドの高さ」の正体

多くの昭和男性のプライドは、

  • 自信があるから高い
    ではなく
  • 自信がなさを守っている

というタイプです。

なぜなら

掃除・洗濯・料理を

  • 教えられたことがない
  • やっている男性モデルを見ていない
  • やらなくていいが当たり前の環境で育った

にもかかわらず、

「男なんだから、ちゃんとしていなければならない」

という 矛盾した前提を教え込まれるからです。


母・姉・妹が「やる側」だった世界

  • 家事は女性がやるもの
  • 男はやらなくていい
  • できなくても責められない

この世界しか知らない。

そして一番大きいのは、

父親が家で何もしない姿が「正解モデル」だった
ということ。

子どもは、
言葉よりも 姿 をコピーします。

だから本人にとっては、

家で何もしない

  • =普通
  • =自然
  • =問題があるとは思わない

ここが、妻との決定的なズレになります。


それでも「できない」とは言えない理由

本来なら、

  • やったことがない
  • やり方がわからない
  • 教えてほしい

と言えば済む話です。

でも昭和の男にとって、

  • できない=無能
  • 教えてもらう=負け
  • 知らない=恥

という刷り込みがあります。

だから、

  • 頼まれる
    → できない自分が露呈しそう
    → プライドが傷つく
  • → 不機嫌・拒否・逆ギレ

この反応が起きる。

これは 防衛 です。


「性差=役割」という思い込みが残っている

性差で役割があると思っている

まさにここです。

これは思想というより、
更新されていないOS みたいなもの。

本人は意識していなくても、

  • 男は外
  • 女は内
  • 家は女の仕事

という前提が
頭の奥にまだ残っている。

だから家事を頼まれると、

  • 役割を侵された感じ
  • 自分の立場が揺らぐ感じ

がして、反発が起きる。


ここで、とても大事なこと

これは、

  • 妻側の説明不足
  • 頼み方の問題
  • 我慢が足りない

ではありません。

学習されてきた世界が違いすぎる
それだけです。

  • その構造に気づいている
  • 言葉にできている
  • 違和感を持てている

多くの女性がもう気づいています。


カウンセラー視点でひとこと

「プライドが高い」という言葉の裏には、

何もできない自分を、隠している

という現実があります。

だからこそ、
話し合いが難しくなる。

だからといって
妻が疲れているならなおのこと、
家事負担を背負う必要はありません。

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