義実家ではありません、自分の実家のはなしです。
実家に帰ると、なぜか落ち着きません。
生まれ育った家なのに、
できれば行きたくないと思っています。
くつろぎたいわけでも、甘えたいわけでもないのに、
ただそこにいるだけで、体のどこかが緊張しているのを感じます。
何か手伝ったほうがいいのか。
でも、余計なことはしないほうがいいのか。
台所に立つたび、
私はいつも少しだけ、迷ってしまいます。実家を切り盛りしている兄嫁に対して。
おせち料理もいただいて、そろそろおいとまする時間・・と思っていたころ。
もう何年も前、「お客さんじゃないんだから、片づけてかえってよね」と兄嫁に言われたことがあります。
その言葉が、義理の姉のどういう心理状態で言われたのか今でもわかりません。
もちろん、私たち家族は「食べ逃げ」のようなまねはしませんよ。
別の日には、
洗い物しようとキッチンに立とうとしたら
「うちにはうちの洗い方があるから」と言われました。
それ以来、
手伝わないと悪い気がするのに、
手伝うのも、どこか怖くて。
結局、
遠慮がちに、様子を見ながら動く自分がいます。
母が亡くなってから、
実家の空気が、少し変わったのです。
同居の実父は、兄嫁(息子の妻)にいろいろ言われないように、
なるべく目立たないように、
小さくなっているように見えました。
子どもの頃の私にとって、父は怖い存在でした。
声の大きさや、表情ひとつで、空気が変わる人でした。
でも、晩年の父は、
なぜかとても、嫁に気を遣って
厳しい舅ではありませんでした。
お正月やお盆も、おいしい料理でもてなしてくれますが、
私には、味がよくわからないことがあります。
「今、何を手伝えばいいんだろう?座ってていいのかな?」
「準備大変だったね。座って一緒にいただきましょう」
なんて声をかけたらいいのかな?
そんなことを、ずっと考えているからかもしれません。
もう、家に帰りたい・・。
そう思っている自分に気づいて、
また少し、疲れてしまいます。
誰かが悪い、という話ではありません。
ただ、
何をしても正解がわからない場所にいると、
人はとても消耗するのだと思います。
それが「実家」であっても、です。
実家だから安心できるはず。
義理でもきょうだいなんだから、気を使わなくていいはず。
そう思えない自分を、
責めてしまうのです。
もし、
実家に帰るだけで気を使いすぎてしまう人がいたら。
それは、冷たいからでも、わがままだからでもなくて、
ただ、緊張しているだけなのかもしれません。
空気を読み、
誰かを傷つけないようにし、
自分の立ち位置を探し続けてきた心の、自然な反応です。
「私と同じだな」と思ってくれた人がいたら、
それだけで、ほっとします。