それは、子供の頃に傷ついた出来事が、今もなお
心の傷となっているからです。
私って、
・昔から人と仲良くなれないタイプ
・集団生活の中に入っていけないとか
・自己開示ができなくて、うわべだけのつきたいとか
・悩みを相談できるような友達がいない・・
・生活のために、人間関係に我慢して仕事を辞められない
などと悩んでいるなら・・。
こんな自分嫌だ、もっと明るくなって
和気あいあいにしゃべれる私になりたいと思っているなら
お金の心配をずっとしている・・
それは、子供頃に出来てしまった
「心のクセ」があるからなのかもしれません。
例えば、子供の頃に
「お腹がすいた~」とか
「おやつはチョコレートが食べたい~」
「抱っこして~」
と甘えたことがあったかもしれません。
デパートでちょっとふざけていたら
「ダメダメ~」と欲求を否定されたり
「騒がないの!言うこときかないと、おいていくわよっ」。
または一事が万事
「こうしなさい、ああしなさい」と言う親で
言うことを聞かなかったら、母親の機嫌が悪くなるとか
大人の会話の中に入っていって
「子供は口出しするんじゃない」と怒られとか。
子供の無邪気な欲求や素直な気持ちを
否定されてしまった出来事を
心の底に封印してきたのかもしれません。
子供の成長に影響を与えるのは、親が多いです。または学校の先生や、
映画やよく見ていたドラマのストーリーから影響を受けることもあります。
中でも、一緒に暮らしている親から影響を受けることが多いです。
親から叱られたり、怒られたり、ダメ出しされたり
たび重なると
「私とは、こんな人」、「自分はこうである」と自分の人格を決めてしまうのです。
そんな自分をダメだと思ってしまうのです。
要するに、大人になってからも
「私が意見を言っても、受け入れられないだろうな」とか
「あのサークルに入っても、いろいろ言われるだろうな」と思ってしまって
「だから、人と付き合うのはやめとこう」とか
「傷つくくらいなら、一人でいる方が安心だ」と
人となじめない自分を守るために、自分の行動を決めてしまうのです。
子供の頃に親から拒絶をされた記憶があると
大人になってから人の輪に入ることが怖く感じます。
幼いあなたが、家族の中やクラスの中で
笑われたり、恥ずかしい思いを経験すると、
また笑われるかもと恐怖となって
ますます、人の中に入っていけない
人見知りになったりします。
こうやって、人を避けてしまう行動パターンが出るものなのです。
これは「過去の傷が今の対人行動をコントロールしている」状態です。
子供の頃の体験が心に刻まれる理由
子供の頃の経験は、大人になった今の思考や感情の基盤になります。これは脳の発達過程や神経回路の形成に関係しています。
人は自分を取り巻く環境が、
今の自分にとって安全か危険かで判断し、危険と感じた出来事を強く記憶します。
ネガティブな体験は生存に関わる重要情報として脳に深く刻まれ、潜在意識に残ります。
お金の悩みと潜在意識
子どもの頃に「お金がないことで家族が苦しんだ」「欲しいものを我慢した」という経験は、大人になっても「お金がないと不安」という感覚を引き起こします。「うちは貧乏だったから、自分が出世してお金を稼がなきゃ」と、
無意識に浪費や過剰な節約、仕事への過度な執着として現れてきます。
これは、幼少期の不足体験が「潜在意識の価値観」として定着しているためです。
しかし、お金というものは人が管理をして、人から巡ってくるものなので
人と関わらないと、お金は入ってきません。
だから、人間関係や人脈というのはとても大事となります。
健康の悩みとのつながり
子ども時代のストレスやトラウマは、自律神経やホルモンバランスに影響を与えます。
「怖い」「不安だ」という感覚が慢性的に残ると、交感神経が優位になりやすい
その結果、肩こり、胃腸の不調、免疫低下などとして体に現れる
つまり、心の傷が体の不調としても表れるのです。
解決のヒント
過去の出来事を無理に思い出す必要はありません。大切なのは、
「今の自分の悩みは、子ども時代の傷の影響かもしれない」と気づくこと
潜在意識のパターンを書き換えるワークや心理カウンセリングで、安心感を取り戻すことがいいです。
そうすることで、人とうまく関われない自分がダメだ・・と
自分のことを嫌っていたり、
こんな私を好きになってくれる人なんかいない、と思っていたけど
自分のことを好きじゃなかったんだ・・と気づいていくことになります。
そんな自分を、まず受け入れることが大切ですね。
自分を受け入れることが出来ると、
他者からも受け入れられる人に変っていきます。
人間関係、お金、健康の悩みは、子供の頃に
ありのままの自分を否定されたり、拒絶されたりしたものだから
大人になっても「私が私であるためには、こうあるべき」と
自分を縛り付ける思考がずっと続いていた、ということだとです。