やめてみた・捨ててみた・ミニマリズム

片づけられない人の心理状態 自分編

私、断捨離をしてもリバンドしないのか断捨離で実験して感じたことを
つれづれに書いてみます。

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ミニマルにはならなくていいや、と思っているので
片づけに対してはゆるゆる気分なので、ものはどうしても増えてしまいます。

散らかったら⇒元に戻すの、
ゆるゆる片づけでどれだけの復元力があるかどうか・・

昨日カフェカーテンなどを買ったので模様替えを兼ねて
今日は久しぶりにい家中のかたづけをしました。

たしか夏前に片づけをしたはずなのに、
今回もゴミ袋に7袋ほどのゴミを出してしまいました。

あの時期限を設けて
捨てずにとっておいた物は
結局は捨てることになった次第です。

いつか使うかもの「いつか」は来ないといいますが、そのとおりだなと実体験しました。

誰にもあてはまることではないけど、
私の場合は要らないと思ったものは潔く捨てる練習をしたほうがいいのかなと思いました。

物にもよりますが、
悩んでいるもの=手放す
がいいと感じました。

ところでモノを捨てることへの罪悪感は
なかなか消すことがないと知ることは大事ですね。

モノを捨てるときに芽生えている罪悪感とは?

まだ、使えるのに捨てるなんて
これは〇〇さんにもらったものだから捨てたら悪い

私がモノを捨てようと決めたと同時に、「モノは大切にしないといけないよ」と言う
、心の中のもう一人の自分が足をひっぱろうとする。

(まだ、使えるかもよ)

(使おうと思った時に無いと、捨てたことを後悔するかもよ?)

という、心の底からのささやきです。

モノを大切にする人=良い人という思い込み。
いい奥さんではないと烙印を押されそうな錯覚も、あります。
だから、つい捨てなくてもいい方法を考えてしまうのデス。

⑴人に譲ろう
⑵リサイクルショップへ持っていこう

でも、私なんかは、かなり心にテコ入れをしないと譲ろうと思って袋にいれたままほったらかしだったりする。

そんな時はまた、捨てられないもう一人の私が悪魔のように囁くのです
この服、季節外れだから今頃あげても迷惑かもよ
どうせなら、シーズンを待ってあげたほうが喜んでくれるかもよ?
って。

結局季節を過ぎてもずっと捨てることももできず、
誰かに譲ることもできず何の出番もないまま家の中に放置してしまうのです。
家の片隅に。

出番もなく使われる機会がなく、
存在を忘れられたモノの名前を「ゴミ」と呼びます。

ゴミという不要なモノに自分の時間や人生を支配されていることに気づかないといけない。

以前、家具を処分できない人に
「使わないで部屋に置いておくだけの家具に家賃の一部払っているんだよ~」
と言っている人がいました。

要らないモノに家の中の貴重なスペースをされているのは
不経済ってことなんですね。

それを考えると、モノを買うときって本当に必要なのか?
大切に扱えるか?

自分の価値観に向き合わないといけなくなりますね。

ものが沢山あって情報もたくさんあるこの日本ではなかなか難しくもありますが。

それに、うちみたいに田舎だと
モノをただ持っているだけでステータスを感じる人まだいっぱいいます。

捨てたら罰があたるって思っているお年寄りも多い。

これはモノのない時代に生まれ育ったためのなので、
しょうがないけど。でも、やっぱりモノに振り回されていては

すっきり身軽な暮らしは到底手に入れられませんね。

そういうわけで、何も目的のないままに
断捨離するから、
また部屋の中が雑然として、ゴミが増えるんだなと思った次第です。

ものを捨てることに、かなりの心のブレーキがありそうな私でした。

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